失敗を恐れず自分を晒すこと-当たり前を覗いてみる79-
自分の中で得た知識や情報は、自分の中だけで消化していると、8割くらいは忘れてしまいます。
自分がすでに得ている知識も、自分のために整理するのと、お金をもらって相手に貢献しるために整理するのとでは、まったく知識の次元が変わります。
自分のためだけなら30分ほどの内容であっても、貢献する内容に構成にしようとすると2日もかかったりします。
僕自身が9.11アメリカ同時多発テロをきっかけに学び始めた、認識技術nTechでは「実在するのは1しかない」という演繹的な規定に基づいて、この複雑で多様な世界を整理する技術です。
その中に、「理解の10段階」というものがあります。
1段階目は、「気持ちや雰囲気による理解」。2段階目は、「脈絡にそった理解」。3段階目は、「論理による理解」。と続いていきます。
7段階になると、「商品化出来る理解」、8段階は「職業化出来る理解」と、理解の次元が変わります。
最後は「文明化出来る理解」です。
文明化となると、いまいちピンとこない領域になってしまいますよね。例をあげるなら、「100年愛されるコンテンツとは何か」「500年愛される都市とは何か」と考えることが文明化へとつながる理解です。
僕自身が提供している疎通の課題を解決するコンテンツを例に考えてみます。
「疎通の課題を解決するコンテンツが、100年愛されるコンテンツとなるには、どう考えたらいいのか」
・個人が分かり合えないことでどれほど心が傷ついてしまうのか
・分かり合えないことが経済にとって、
・社会問題として、人類の共通の涙として、本当に超えなければならないことなのか。
・その必要性を確信し、多くの人に響くようなメッセージをどう伝達していけばいいのか。
・さらに、疎通の課題に対して、心が傷つくことのない人材を育成するには何が必要なのか。
などなど、思いつきます。
そんな大きなことを考えていると、ちょっとした失敗に凹んでなんかいられない気持ちになりますし、むしろどんどん多くの人に晒して、見てもらう、聞いてもらうことを考えようとします。
あなたは人に晒してもいいと思える何かありますか。
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