めんどうだなぁ、、、という時は、存在現象と認識を分離する -当たり前を覗いてみる77-

 

 

僕はめんどうだなと思いやすいタイプです。

特に組織の中の細かすぎるルールや報告系タスクについては、あっめんどうな案件だと、瞬間的に思ってしまいます。

 

これが、ほおっておくと、ズルズルと後回しになってしまうんですね。

そして、時間ギリギリになって、慌てる、ふてくされる、開き直る。(笑)

そんなこんなで、迷惑をかけてしまうことがあります。

 

 

めんどうだなと思うことにどうしてこんなにも腰が重くなってしまうんでしょうか。

それは、「すべき事」である存在現象と、それを「どう思うのか」の認識が混同しているからでした。

 

 

存在現象の特徴は、受動的です。

自分以外の存在現象があること。自分以外の存在現象から影響を受けていること。自分以外から影響を受けた考え感情が走ること。

対して、認識は主体的です。

すべての原因は自分自身にあるとして、どう思うのかを選択する。自分以外の存在現象についても、それをどう思うのかは自分が決める。自分がどう思うのかは自由でありその責任は自分自身にあること。

つまり、「すべき事」は自分以外との関係において発生した事案です。

 

 

この事案については、存在現象という箱に入れて処理をする。そこにやらされているとか、めんどうだなという主観は入れない。

認識は認識の箱の中に入れて処理をします。

まず自分は何者なのかを明確にすること。その自分はこの事案をどう思うのかを引き出します。

 

 

そうすると、なんでこんなことしなければならないのか、、、というモヤモヤを一掃することが出来ます。

自分が見ている世界、感じている世界を分けることで、しっかりと整理し、すべてを自分の時間に変えていくことが出来ます。

 

 

 

めんどうだなぁという事案、自分の時間に変えられていますか?

 

 

 

―――――――――――――――――――――――――――――――――――