おはようございます。

昨日の振り返りです。


職場でのこと、講師をしている方が

検定中にインターネット回線のトラブルがあり、

受検中の生徒さんの機転で乗り切ることができた

と話していました。

この事実についてしばらく話し続けている様子に

(そうなのか、トラブルがあり大変だったんだな。

これで終わるかな?この話。

そろそろ仕事がしたいんだけどな。

いや、話を聴こう)

と思考しました。


検定に影響のある事象の発生を否定に配置して

困った を投影し、受検生の機転でトラブル回避

できたことに喜びを投影する。

それを他に話す講師は

自分の情動を自分自身で処理せず、

他に依存している鏡かなと観ました。


一喜一憂を他と共有したい、

わかって欲しい、と吐露することを断ち、

自分の中で認識する方へ舵を切る。


また話が終わるかどうか思考するわたしは、

自我が前に出てきています。

自分のやりたいようにやろうとする

自我の暴走を止める事ができず、

自分の仕事に戻りたくてうずうずしている状態。

ここでスパッと仕事を中断し、

相手の話を聴く姿勢を創造するようにすることに

すごい抵抗をしています。


講師に限らず、誰の話でも、

話を聞くことを片手間にやる自分がいるので、

話を聴く姿勢をまずは創ってみることにします。


仕事のペースが〜とか

時間足りなくなったら嫌だーとか

自我は駄々を捏ねますが、

自我のペースで気を抜く時間もあるので、

その辺りを調えつつ。

到来する現実を使わせていただきたいと思います。


今日もおつきあいいただきありがとうございます。

読んでくださってありがとうございました。