おはようございます。
今日は母の病院受診につきそっています。
それはまた明日振り返るとして
今日は昨日の振り返りを。
月曜日の夜、職場の上司より
データ入力な依頼を受けており、
作業に取り掛かるためその内容を確認しました。
そのやりとりをみていた社員が、
「なんすか、あの不機嫌アピール」と言いました。
その後次のようなやりとりがありました。
「不機嫌アピール?」
「ええ、ずっと不機嫌ですって態度です。」
「そっか、なんかあったのかね?」
「わかりませんが」
社員の 不機嫌アピール という言葉を聞いて、
あー、確かに今日は機嫌が悪いし、
そういえばさっきの態度もぶっきらぼうだったな
と思考したのに、
「不機嫌アピール?」と素知らぬ顔で答えました。
上司の不機嫌をアピールとは捉えていませんが、
不機嫌であることは感じつつ、
それを認めずにいました。
今振り返ると、社員の言葉は
自分の気持ちを認めないことを社員に指摘された
状態だったのだと気づきます。
その時は現実に呑まれているので、
その指摘も無視していますが。
わたしは上司の態度を
不機嫌だなんて思ってませんよ。
そんなことにフォーカスしていませんでした。
と偽っている。
不機嫌にフォーカスすることを否定しているので、
わたしはフォーカスしていない!
と我を張っている。
上司の物にあたる態度やイライラした口調などは
自分の想いを自分で処理できないわたしの鏡です。
社員も自分が上司の態度に投影した世界を
不快と判断し、それを自身で処理することなく、
外に出すという行動をとっている。
ので、これも同様の鏡として
捉えることができるように思います。
では、想いを自分で処理するとはどういうことか?
ここに學びがあるような気がします。
すぐに答えは出ないので
今日はこの辺りで。
おつきあいいただきありがとうございます。
読んでくださってありがとうございました。