おはようございます。
昨日の振り返りです。
自分は正しい、相手がおかしいのだ、
という想いに囚われており、
鏡がその姿を映してくれていたことに気づきました。
聴く耳を持たない
我を通す
表現方法は違ってもやってることは同じです。
観点は無限にある。
同じ事象を観てもそれぞれフォーカスするところが違うし、
捉え方もさまざまです。
それぞれが自我の設定により、
無限分の一を選択しているということですね。
「わたし」に組み込んだシステムを使うので、
自動的に無限分の一が決まる状態です。
その人にとっては選択したものが「正しい」となっている。
それが自我の数分あるのだから、
実際はどれが「正しいと」か「間違ってる」とかはないことがわかります。
自分の「正しい」と思うやり方を手離そうと思ったら、
「正しい」を書き換えるだけの価値があるという「理由」が必要になります。(自我の納得)
自我のフィールドで生きるならこれは必須事項。
わたしは自我という設定を外したい
という希求を持っています。とすると、
オートマチックに稼働するシステムを止めないと
いつまでも自我のフィールドにいることになるので
大元から意識を変えていく必要があります。
無限の観点がある中で、
わたしの選んだ観点が
自我システムにより導き出された無限分の一なら、
その観点を手離し、
提示された観点に乗ってみる。
わたしを超えた場所に立てば、
「わたし」も「他者」も
同じフィールドに散りばめられた点
=全てわたし だとわかる。
(たぶんこの辺が統合の観点かな?)
この観点が根付くまで、
今日もコツコツ、歩をすすめます。
今日もおつきあいいただきありがとうございます。
読んでくださってありがとうございました。