おはようございます。
昨日の振り返りです。
昨日上の息子に
スマホ代を自分で払うようになったので、
スマホ代を生活費から引いて欲しいと言われました。
お家賃と生活費として
社会人となった息子から毎月生活費を入れてもらっています。
学生の頃からの流れでスマホ代はわたしが支払いをしていましたが、
スマホを変えた事を機に、
息子は息子でスマホの契約をし、
支払いも自分でするようになりました。
その依頼に対し、
わたしはお金が足りないのかと聞きました.
また、もともとわたしは
生活費にスマホ代は含まれない
という認識だったこと、
敢えて未納に対して請求をしなかった事を伝えました。
息子は「そういう認識ね」といい、
考えると言ってその場を離れました。
これを観ると、
息子といえども生活費としてお金を入れることに対し、
雑な取り決めだったことがわかります。
スマホ代に対し認識が一致していない上、
わたしの認識では未納のスマホ代に対して
請求もしていません。
(わたしの中では携帯代を支払って「あげている」体になっていました)
細かい取り決めをして息子を不機嫌にしたくない
とか、
寛容な母親でいたい
子が自立することで孤独感を味わいたくないなどの思惑により
確信犯でうやむやにしていました。
わたしの情動に軸を置いた創造です。
〇〇をしたら△△になるだろう
というわたし基準の前提があり、
それを味わいたくない場合、
回避ルートを選択する、という流れがあります。
どちらにも利がない場合、
より味わいたくない事を回避する選択をするようになっています。
実際は〇〇をしたら△△になるかもしれないし
ならないかもしれない。
また、△△になったとして、
それを体験したくないというのは
外の状況により自分の世界が好ましくないものへ変わるということ。
自立できないわたしの鏡として、
息子が在ります。
その上で、息子と再度話をしました。
まずスマホ代について、息子は
月々の生活費に含まれている認識だった
ということなので、
その認識を共有しました。
また、息子の生活費としては
お金は足りていない旨を伝えた上で、
支払いが難しいならスマホ代を差し引きすることに同意しました。
(息子がわたしの依存を鏡しているなら、
わたしが金銭的にも精神的にも
依存から自立に切り替えていく必要があると考えた結果です。)
それが子を甘やかすことになるのでは?
と思考するわたしもありますが、
息子は鏡として存在してくれているので、
それを変えることは選択しないことにしました。
自分の意識や行動を棚上げして、
息子を正さねば!と外を変えようととしています。
棚上げしているもの、
リアルで依存しているものを
認識することにします。
今日もおつきあいいただきありがとうございます。
読んでくださってありがとうございました。