おはようございます。

昨日の振り返りです。


最近ものがなくなる、という現実に出くわすことがあります。

見つかるものもあれば、

見つからないものもある。

自分がなくしたものもあれば、

職場の仕入れた品が見つからないこともある。


そんな中、昨日は上司と社員が書類を探していました。

棚卸しで報告が必要な物品があり、

それについての情報を集める為、

処理した当時の書類を探しているとのことでした。

その物品について覚えているかと問われ、

覚えている内容を答えました。


ひと月ほど赴任されていた方が処理した案件で、

所長が休業中にお客様からの依頼で返品を承った商品です。

部長に許可を取り、取り消し処理をされていた件であることを伝えると、

次はその取り消し書類の在処を聞かれ、

わたしは

「知らないですねえ。仕事はみて覚えるとおっしゃっていたので、

問われていないことは答えてませんし。

キャンセルのファイルにありませんか?」

と答えます。

社員が書類の不備はその方の責任なのだから、

監査などで指摘されたらあの人がやったと言えばいいと言い、

「まぁ、所内で起こったことなので、

責は所長が負われますけどね。」と答えながら、

会話は終わりました。


わたしは「仕事はみて覚える〜」と言っていますが、

これは不用な言葉ですね。 

ネチネチと昔のことを根に持っていて、

処理をされていた方を責めるような意図が含まれています。

「知りません。キャンセルのファイルにありませんか?」

で済む会話です。

わたしの言葉が変われば

その後の社員の言葉も変わったかもしれない。


会話の中にわたしの発した言葉を引用していたので、

社員の言葉はわたしの発した言葉が呼び水になって出た言葉のように思います。

この瞬間社員は処理された方を責めていますが、

わたしの言葉を起点に責める世界を創ったのなら、

それはわたしの業になるのではないかと思います。


毎日たくさんの業を創っていることを今更ながらに自覚しました。

他者の業を創る手助けをしているようなものだなと。

それはあまりにも申し訳ない。

一言一句、創造に責任を持ちたいと願う朝でした、


今日もおつきあいいただきありがとうございます。

読んでくださってありがとうございました。