おはようございます、
今日も昨日の振り返り。
職場でのこと。
同僚のBさん、朝から外出の予定がありました。
Bさんの外出先への別案件を確認したCさんがBさんに
別案件について一緒に対応して欲しい旨伝えます。
Cさんががわたしに「行けますよね」と問います。
わたしは特に自分の意見は述べず、
場に参加しました。
Bさんは対応できない理由を述べておられました。
最初わたしはできない理由に対して
「それは〇〇ですか?」と言葉通りに受け取り
内容に対して質問したのですが、ふと、
「Bさん、今日はこの案件を対応するのが難しいということですか?」
という言葉が出ました。
Bさんは
「そうです」と答えられ、さらにわたしは
「わかりました。Cさん、この件お客様にBさんのご指摘の件伝えて今後の予定を確認しますね?」
と発言しました。
Cさんも同意され、
Bさんは外出されました。
「わたし」の世界の調和にひとつ近づいたような気がするのですが、
どうでしょうか?
特に意気込んで全なる一になろうとしたわけではありませんが、
ありのままの声を聴き、
それに沿って動くと自然と何事もなかったように滞った出来事が動き始めるような気がしました。
(さらなる検証が必要ですね。)
今回わたしにはわたしの希望というものがありませんでした。
だから客観的に観ることができたように思います。
BさんCさんという鏡から、
自分の思いをうちに秘め、
言葉で装飾して会話している。
「こうしたい」という意図があり、
そこへ導くように自分を正当化しながら会話している。
わたしはいつもその場所にいるんだなと気づきました。
わたしの意図を叶える場所から離れて、
全体の意図を叶える場所に立つ。
この観点を他の出来事にも当てはめて、
シュミレーションしてみます。
今日もおつきあいいただきありがとうございます。
読んでくださってありがとうございました。