おはようございます。
お天気の朝です。
観察を立体的にって
おぼろげにみえた気がしたけど
なかなか、おおっ!って
盲目に気付けるような観察になりません。
今日も昨日の観察の記録を。
きのうは職場の人が、
浜松市に松潤が来ることを話していました。
話したいことを話してる人が
目の前にいる、
その現実を観察したとき、
わたしまた「人の話を聞かねば」って、
自分の自我を押さえ込むようなことを
していることに気づきました。
(わたしの周波数はモヤっとして、
思考が出てきます。
この話いつまで続くのかな〜。
いやいや、話聴くんだ。
受容受容。
というように。)
わたしがわたしの自我を閉じ込めようする意識が、
「話したいこと」を話し続けるという現実に転写されたのかなと。
自我を自由にすることを許さない意識が、
自我を自由に表現する人という、
わたしが否定してる世界として具現化した。
自我を支配しようとしても反発します。
意識の設定を変えたいなと思いました。
そもそも自我もスピリットの一部。
ありのままそこに在るもの。
でも自我を解脱した世界を創造するには
自我を最優先にしたままでは具現化しない。
自我はある。
そして自我が最優先だと設定している。
これを変更するには?
優先順位を自我から別のものに変更する。
浮かんだのは宇宙摂理なんだけど、
これは具体的な概念ができていないので、
ここで停滞していたのですが、
通勤途中にひらめきました。
自我が最優先に設定してるのは
自我意識の中の「わたし」
目の前の現実に投影しているのは
「わたし」が否定している自我意識。
あぁ、そっか。
そこ(現実という目の前)に
もうひとりの「わたし」がいるんだ。
源で繋がってる、
同じ大いなる意識から派生した「わたし」がいる。
もうひとりの「わたし」という自我の話を、
今のこの肉体に宿る「わたし」の優先順位を後ろに下げて、
ただ聴けばいいんだ。
それがこの肉体に宿る「わたし」という自我を
自由にすることに繋がる。
意識の設定の言葉には
なってないかもしれないけれど、
とりあえずストンと心に落ちたように思います。
書いた側から思考が騒ぎますが。
今からまたリスタートです。
今日もおつきあいいただき
ありがとうございます。