おはようございます。
雲の多い朝です。
きのう職場で休みが自由に取れず不公平だ
という声を聞き、
改めて、好きな時にお休みをくれる
上長や仕事仲間にありがたいなぁと思いました。
同じ会社だけど、
部署が違うだけでずいぶん待遇が違うのか?
他部署の事情は詳しく知りませんが、
仕事に限らず
自分の世界が恵まれすぎていて
何か見落としていることがあるんじゃないかと
思考を巡らす自分がいます。
向き合う現実は投下されてるはずだけど
こんなに落ち着いてていいのか?
そういえばわたし、問題のない世界は退屈、
程よくストレスのある世界がちょうどいい
って思う節があります。
結婚してた頃は安定して幸せだと思うと
わざわざ気に入らないことを見つけては難癖つけてました。
見つけられないと創ってました。
ホントタチが悪い![]()
これどういう世界なんでしょうね?
問題がないと落ち着かないというか。
問題があるとがんばってる感がある…。
自我が「わたしちゃんとやってるよ!」
と言ってるような?
ちゃんとやってるってどういう世界観なんだろう?
そんな手放しで幸せなんてことないですよ。
問題はあります。
人並みに苦労してます。
という心情の世界観。
なんか適当に問題だと思えることを創ってる。
これが問題!という点を決めて、
それを解消しようとしたり、
解消できないと嘆いたりして
ドラマを楽しんでるのかな?
なんかアホらしいな。
上の例は比較をつかってますね。
比較を使えば問題なんていくらでも創れるし
同じように比較して優越感を感じることで
幸せを創ることもできる。
自分の外に基準を置いて、
それ以上かそれ以下かで現実を観ればいい。
その観点はもうごちそうさまってくらい使ってきたから
そろそろ卒業でいいんじゃないの?
外側もわたしの意識なんだから、
上も下もないし、ただ自分があるだけだよ。
(と、よくわからないけと思いついたので書いてみる)
というわけで、
問題や幸せという状況も自分が創ってるんですね。
楽しいとか苦しいとかも意識が創ってるのか。
今日は比較をフォーカスしたけど、
創りかたは他にもあるんだろうなと思います。
(そもそもわたしの幸せの概念も明確じゃないしな。)
比較の観点、たぶんいろんなところで使ってますね。
比較ではなくそれそのものを観る世界はどんなだろう?と思うので、
それそのものを観るにチャレンジしてみようと思います。
なんかいろいろ、
中途半端に濁してるところがありますが
今日もおつきあいいただき
ありがとうございました。