おはようございます。

快晴の朝、西へ向かってます。


きのうは夜中に雨音で目が覚めたり、

なんとなく熟睡できない夜でした。

眠っているけど起きているような…。

頭の中を観察のことがぐるぐるまわって、

寝ながら考えてました。


ガイドさんによく、

「君の言葉の「ありがとう」の振動は

ありがとうではない」と言われます。

上辺だけで「ありがとう」と言っているけど、

エネルギーが乗ってないということだと思います。

「ごめんなさい」も同様です。

これを鏡する現実は多く具現化されています。


それで言葉とエネルギーの一致、不一致について

振り返ってみました。


心からの感謝のこもった「ありがとう」を

私は発したことがあるのかな?

そもそも一致ってどういうことだろう?


幼い頃からの道徳教育(しつけ)として

親切にされたら「ありがとう」というとか、

何かをいただいた時はお礼を言うとか、

当たり前に身についているけれど、

それは私に都合の良いことを

していただいたことに対してのお礼で、

例えば欲しくないものをいただいたときなどは

形だけのお礼になっている気がします。


この流れで、

メリットに対してお礼を言う

という創造は自我のお礼で、

スピリットのそれとは違うんじゃないかな

という考えが心をよぎりました。


スピリットの希求は霊性進化一択です。

だとしたらスピリットにとっては

進化のきっかけになる現実全ては

感謝の対象になるわけで、

それをすんなり受け入れられないのは

私の自我が抵抗するからだと思います。


メリットに対してお礼という創造をしている時点で

分離の世界を生きているということ。

その分離から解脱する方向に向かうなら

メリットはよくてデメリットはイヤという意識場を

メリットもデメリットもどちらもあって

それはいい悪いではないという

世界に進む選択をしていく。


一致って言葉と心の一致ではないんだな。

自我にとっては都合の悪い、

不許可のエリアを許可していくプロセスに

今の私はいるんだから、

自我の壁を越えていくまでは

自我の心はぷすぷす燻りながらも

スピリットの希求に一致していく行動を

選んでいくのかもしれない。


心から満たされない現状に

なんとなくモヤモヤを抱えてましたが、

自我が主導権を握っているんだから

ある意味当たり前だよね、

と思います。

今の私が心から満たされている、と言葉にしたら

それは幻想物語を楽しんでいる

ということになると思います。


幻想ではなく、

リアルに意識場を拡大する世界にむかうように

今日も一歩を踏み出したいと思います。


おつきあいいただきまして

ありがとうございます。