おはようございます。
曇り空の朝、
すぐそこに大きな雨雲が近づいているようです。
昨日のブログで、
概念の鍛錬、
(次元を上げて捉えていくこと?)が
私の観察にリンクしてない
ということを書きました。
書いてみて、
改めて観察と鍛錬の関係性が
あいまいなことに気づきました。
そもそも概念の鍛錬自体、
どうしてやることになったんだっけ?
そもそものところで迷子になってます。
セッションでは
陰陽一対について
物を物質としてみる観点から
そのものの持つ世界を捉える観点に次元を上げ、
さらに物単体ではなく、
3次元の物質界の次元に観点を引き上げる
という流れで進んでいったのですが、
昨日ブログを書いた後、
これを観察に応用するんだと思ったんですよ。
現実の共通事実に世界を創ってるのが今の現状で、
その世界は認識してるエリアと盲目のエリアが
セットの構造になっている。
その認識と盲目の意識が分離してるから、
(認識と盲目を別々の世界として捉えてるから)
今の現実が具現化してる。
だから分離してる認識と盲目を融合したら
違う現実が具現化される。
↑の分離意識が転じて
現実が具現化されてるわけだから
分離を融合すれば
出来上がる世界が変わる
今辿り着いてるのはこの辺り。
概念の鍛錬は世界から次元を上に上げる
というのが腑に落ちてないので
これはまた言語化してみようと思います。
今日もおつきあいいただき
ありがとうございました。