おはようございます。
今朝は曇り空。
今日はゆっくりノート書きます。
きのう音源を聴きながら
おぼろげに思っていたこと。
意識の位置が変わってない。
意識の位置、というか、
現実を見る位置。
俯瞰視点で見たい、見よう、
と努力はしているけれど、
それは3次元にいて、
自分を高い位置に引っ張り上げるイメージで、
高いところから現実を捉えようとしている。
でも「私」はいつも地上(3次元)にいるんです。
「私」とはいったい何なのか?
この3次元の肉体を持つ物質である「私」は
たしかにここにいるけれど、
それは中身がなければ動かない。
ただの入れ物になる。
その中身がスピリット、魂、
なんだろうけど、
じゃあそのスピリットとは何だろう。
私の本質。
源、宇宙根源の光の分け御霊。
じゃあ源とは?
大いなる意識。
意識。
スピリットは大いなる意識の分霊。
肉体という入れ物に
スピリットの意識を入れたもの、
それが「私」。
魂の課題に合わせた
身なり、出自、家族等を設定して、
3次元にアバターを創り、
スピリットの中に自我という囲いを創って
それを3次元に飛ばしているイメージ。
源に在りながら、
3次元に在るように体験できてる。
まるでVRの世界のように。
今、この自我が基準の人間意識から
解脱しようと思うなら、
自我の中から世界を見ていては
なにもかわらないんだなあ。
源に在るスピリットの位置から
3次元世界を見るという方向へ
シフトチェンジしていく必要がある。
3次元の私は粒子が荒いから
スピリットと同じ細かさでは見えないけど、
そこに立つという意識を立てなければ、
いつまでも自我の中から
覚醒物語を生きることになる。
ここ数週間、VRの話題とか、
メタバースの話題が耳に入ってきてたのは
このためだったのかー
なんて思いつつ、
ほんとヒントはいつも提示されてるんだな
と思う朝。
ゆかさんのブログより、
「創造主」の意識場の立ち位置は、
常に「全ての概念」の外側に在ります。
大いなる宇宙意識そのものとして、
世界を観点するような位置です。
方法論を手放すとか、
依存と向き合うとか、
課題はいろいろありますが、
「今はまだできない」を言い訳にして
逃げるのはやめて、
今できる一歩を踏み出します。
今日もお付き合いいただき
ありがとうございます。
