おはようございます。
日々、自我が暴走しています。
きのうは手配できる商品を
手配するには手間とコストがかかる
手配できない可能性がある旨伝えてある
という理由でお客様にお断りの電話を入れればいい。
という同僚の言葉にひとり憤っておりました。
手配しますとお約束して、お金をお預かりしている以上
最善を尽くしたい。
それが私の望む世界だからです。
「週末に商品を使いたいので早めに納品してほしい。
遅くとも8日までにお願いします。」
というお客様の言葉に対し、
8日に納品するというのも不親切だと
ひとりイライラしていました。
私がお客さんだったらこんなところでものを買いたくない。
だからきっとお客さんだって離れていくに違いない。
でも私が働く会社からお客様が離れていくのはイヤ。
こんな感じで自我の大暴走を繰り返しておりました。
えぇ。現実は鏡で、世界は自分が創っているのです。
答えは外側にはなく、すべて自分の内側にある。
そうですとも!
知識はあるんです、毎日ブログ読んだりしてるから。
でもちっとも腑に落ちてない。
行動が伴ってない。
そんな時、ゆかさんのブログを読みました。
まず「音楽を最後まで聴くように」
「相手の云わんとしている事を、
相手の世界に入って、全力で感じ取り、
受け入れる」という受容を創造します。
「わたしには全くわからない」けれど、
あなたが「そう云うならば」その世界を
まず全力で「聴こう」「知ろう」とする
そこへグラウンディングするのです。
まずこれを行動に移すことにします。
やることはきのうと同じ。
「何もしない」
納品が遅くても、不親切だと思っても
他人のことに口出ししない。
上長の指示を仰ぎ従う。
「相手の言わんとしていることを
相手の世界に入って全力で感じ取り
受け入れる」という受容を創造する。
この意識が抜けてて、見下したまま
行動に移そうとしていました。
納品に日にちがかかることを受け入れる。
やらないことを受け入れる。
言葉にしないことを受け入れる。
「受け入れる。」とはそれでいい、
それが最善と思うこと。
でしょうか?
未知の世界です。
動いてみなければわかりません。
とりあえずやってみます。
ゆかさんのこの言葉、
豊かですね。
外側の全てを「師匠」だと思い
接するようにしています。
「常に學ばせて頂く」何かを
わざわざ提示しにきてくれている、と捉える軸があると、
世界は水平になりやすいものです。
「それが一体何なのかわからない自分」
から解脱したい意識があるから、
いつも全力で向き合うように心がけています。
「信じられない人」「なんて人」
という感覚というのも、
まだ「わたしの世界という固定概念」が
しっかりと存在した発見であり、
それを教えてくれるメッセンジャーを担ってくれている人がいるわけです。
自分の傲慢さに気づきました。
きのうも気付いて、ドラマに飲まれましたが。
今からまたリスタートです。
今日も長文にお付き合いいただきましてありがとうございます。
良い一日となりますように。