「言葉に対して猜疑心の強い人ほど
言葉に色と力があるようで。」
という言葉を
とある雑誌の大好きな連載で
見つけたのですよ。
言葉に対しての猜疑心って
どういうことだろうな?
と思ってたら
どうやら「言語表現を疑う」ことだと。
言語表現を疑うといっても
言語そのものを否定するんじゃなくて
文字通り
言葉を表面だけで捉えない
ことらしい。
言葉には
「放たれた音(声)そのもの」と
「特段意味をもたない単語」と
「発言者の感情」とが
あると考えると(自論)、
発言者の感情を無視することが
言葉を表面だけで捉えること
ってことなのかな?
「猜疑心」なんて言われると
ちょっと重くて堅苦しい印象だけど…
そんな印象はそれこそ
その単語の表面しか見ていないのかな。
何事も肯定から!
なんて言葉をよく聞くけど、
疑ってかかることから始まる…
ってことも無きにしも非ず?
だってそもそも
この世界には「矛盾」って概念もあって
表があれば裏もある、
はき違えなんてのは日常茶飯事。
何でもかんでも肯定って
それこそその物事の表面上しか
見ていないような気がするなぁ…
かといって疑り深くなっちゃうと
人まで信用できなくなっちゃう。
病的なまでに猜疑心の強すぎる人に対して
カウンセリングをするときもあるんだって。
私自身ひねくれものだから
ちょっと疑ってかかる部分も
あったりするんだけど笑、
ひねくれてる人ほど
実直だったり…?
猜疑心の対義語が出なかったんだけど
実直(心)が対義語でもいいかな?
そもそもこんな文字の羅列を
こうして打ってる時点で
そこそこめんどくさい奴だよね笑