「ヘビトンボの季節に自殺した五人姉妹」/少女の季節と少年たち | 旧・日常&読んだ本log

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流れ去る記憶を食い止める。

2005年3月10日~2008年3月23日まで。

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オンライン書店ビーケーワン:ヘビトンボの季節に自殺した五人姉妹
ジェフリー ユージェニデス, Jeffrey Eugenides, 佐々田 雅子
ヘビトンボの季節に自殺した五人姉妹

浮遊するヘビトンボ。毎年六月になると、この町はその命儚い昆虫の群れに覆われる。汚れた湖の藻の中から雲霞のように湧き上がったそれは、家々の窓を閉ざし、車や街灯を覆い、公設桟橋を塗りこめ、ヨットの帆や柱に取り付くのだ。

さて、ここに美しい五人姉妹が暮らす一家がある。近隣の少年である「ぼくら」は、美しい彼女たちのことが気になって仕方がない。しかし、厳格な一家に暮らす彼女たちとの接点はあまりに少ない。幸運にも彼女たちの家に入り込んだ少年は、家の中の様子を事細かに「ぼくら」に語る。「ぼくら」にとって、彼女たち姉妹に関わるものは、全て宝物なのだった。

ところが、いちばん末の妹、セシリアの自殺未遂を皮切りに、リズボン家の歯車は狂い始める。家の窓はぴったりと閉ざされ、リズボン家の荒廃は町の誰の目にも明らかになる・・・。

姉妹たちの一人、ラックスは校内でトリップという少年と恋仲になり、トリップは正攻法で、彼女を学園祭のデートに誘い出す。若い男女、二人だけでは認められなかったこのデートも、他の姉妹たちをくっ付けたグループデートとして、条件付きではあるが、ミスタ・リズボンとミセズ・リズボンの承認するところとなる。

彼女たちの世界はこのようにして、一時期、外界に向かって開かれるが、それはほんの一時の事。数々の出来事の結果、ミセズ・リズボンの彼女たちへの呪縛はより厳しいものとなる。また、職を追われたミスタ・リズボンも家に引き篭もるようになる。自由を奪われた彼女たちはどうしたのか?

「ぼくら」は勿論、閉じ込められた彼女たちの騎士となることを望み、彼女たちと接触を試みるのであるが、「ぼくら」の行動は彼女たちを救うまでには至らなかった・・・。

これは、大人になった「ぼくら」が彼女たちの行動を追う形式を取った物語であり、結果的に彼女たちを救えなかったにも関わらず、全体を覆うトーンはどこか甘美ですらある。それは、彼女たち姉妹が、彼らの青春の象徴だったからかもしれない。

ミシガン州のどこかを舞台としたこの崩壊の物語は、70年代以降のアメリカに関わるものとして読むべきであると解説には書かれている。不穏でありながら、どこか甘美な物語。ただし、オチを期待して読むと、これといったオチはないので、ちょっと肩透かし? 全編を漂うノスタルジックな雰囲気を楽しむ物語なのかなぁ。いや、若い五人姉妹が自殺しちゃう物語を楽しむってのも、何か変な話なんだけど・・・。

私は未見ですが、映画もあるのですよね。

ビデオメーカー
ヴァージン・スーサイズ

うーん、どこが面白かったとか、特にここがいいんだ、とかどうも具体的にはいえないのだけれど、妙に心惹かれる物語ではありました。