DVD「名もなきアフリカの地で」 | 旧・日常&読んだ本log

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流れ去る記憶を食い止める。

2005年3月10日~2008年3月23日まで。

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シュテファニー ツワイク, Stefanie Zweig, シドラ 房子
名もなきアフリカの地で

祖国ってなんだ、自分の居場所ってなんだ

レギーナはドイツで暮らす、内気で臆病なユダヤ人の女の子。父は弁護士、祖父はホテルを経営していた。しかし、ドイツではナチスが台頭し、父は職を追われ、祖父はホテルを奪われる。レギーナと母は、一足先にケニアの農場に逃れた父の元へ向かう。既に出国時の制限が掛けられていて、持ち出せた物はほんの僅か。

農場の暮らしは、弁護士をしていた父、お嬢様育ちの美しい母には決して楽なものではない。父は自分が無益な人間であると感じるし、母はドイツでの生活を忘れることが出来ない。幼いレギーナのみが、素早く農場での暮らしに順応し、料理人オウアと友情を育む(「小さなメンサブ!(奥さま)」)。

大人たちが農場の暮らしに何とか慣れてきても、ここは安住の地ではない。戦争が勃発し、彼らは敵性外国人と見なされる。ドイツから迫害されるユダヤ人であるにも関わらず、ドイツ国籍を持つという理由で、彼らはイギリス人からは敵となる。父はナイロビの収容所へ、女たちはナイロビのホテルに軟禁される。美しい母に好意を持った英国兵の助力により(勿論、それなりの「見返り」は要求される)、父はまた新たな農場を任されるようになる。オウアもどこからともなく、歩いて彼らの元へとやってくる。

その後、父は農場からよそへ移ることが出来るチャンスとして連合軍に入隊し、母はナイロビで父を待つよう説得されながらも農場に残る。レギーナは少し前から、イギリス人の学校へ行っており、休暇の度に農場に戻る生活。

戦争が終わり、父はドイツに帰ることを希望するが、母はそれを望まない。理想主義の父は、新しいドイツで判事として働くことを希望するけれど、母はドイツが彼らの親類にした仕打ちを忘れることが出来ない。それに彼女は既に、トウモロコシの収穫を気にする立派な農場主だ。イナゴの大群がやってきた時、母と分かり合えず一旦農場を去った父が戻ってきて、皆でイナゴを追い払う。父が母を尊重した行動をとることで、母もまた父を認めるようになる。

オウアとの悲しい別れ(「涙は心を枯らしてしまう」「心が枯れると死んでしまう」)。ドイツに戻っていく一家。母の胎内には、新たな命が宿っている。
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背景は色々あるのだけれど、これはそういう国同士、人間同士の話でもあるし、夫婦の物語でもあった。 頑なだった母が「誰もが同じだと思うのは愚かなことだ」「違いにこそ価値がある」「違いは素晴らしい」と語るシーンはとても印象的だ。結局は多様性を認め、受け入れるということなのだと思う。賢いということは、違いを尊重出来ること。
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いい映画だった。

でも、多様性を認めるというのは、口で言うほど簡単ではない。自分とは違う、人のやり方が気に喰わない事だってあるし、「下品!」と思ってしまう事だってある。正直、この夏、観光地で出会ったアジア系の人たちに対して、そう思った事もあった。

この映画の父は「ケニアは自分の国ではない」「一生”よそ者”では嫌なんだ!」と叫び、「例えイギリスの旅券を貰ったとしても、それでイギリス人は家に招いてくれるか?部屋に入れてくれるか?」と問いかける。