ガツっ
深夜の河川敷に快音が響き渡る。
私のコスケ110Fが橋脚の柱に当たった。
わずか20m先だ。
私は顔をしかめてしまう。
おかしいな、ちゃんと狙ったのに。
風はペパーミントならぬ無風。
タイトなキャストは必要なかった。
橋脚から少しばかりの上流側に落とそうとしただけ。
要は明暗の明るい方へ投げたわけだ。
常夜灯のおかげで視界はすこぶる良い。
私は来たばかり、集中力に満ち溢れている。
一般アングラーであれば最もミスキャストが起こりにくい場面だと思われる。
不思議だ。
どうして私のコスケが目と鼻の先にある橋脚とクラッシュせねばならないのだろう?
答えは驚くほど簡潔だ。
私には運動神経が備わっていないから。
きっと母のお腹に忘れて来たのだ。
私に運動神経は一切ない。
ない、ない、ない。
微塵もない。これっぽっちもない。
生まれてこのかた見たことない。
運動オンチのキャストは鉄砲玉。
どこへ飛ぶのかわからない。
わずか20m先の橋脚柱を避けるポテンシャルさえ持ち合わせていないのだ。
(※歩道は高くルアーはそもそも届かない。安全面には必要以上に気をつけております。念のため)
そんな大袈裟な、と思う貴方は幸せ者。
人並以上の運動神経が備わっている証拠だ。
練習不足だよ、と思う貴方は不届き者。
練習でどうにかなるならとっくに解決してるでしょうよ。
全国には沢山の仲間がいると信じている。
運動オンチ組合。
略してオ組。
我々は長いこと蔑まれてきた。
ありとあらゆる場面で苦しんできたのだ。
だからこそ知っている。
全ての動作は運動神経と直結していることを。
そして、肝心要の運動神経は一個人の努力ではどうにもならないことを。
たかがキャストもままならない。
我々は大きな重荷を背負って生きている。
河川におけるシーバス釣りではキャストの精度がモノを言う。
決して過度な表現とは思わない。
あらゆる名勝ポイントを焼け野原に変えてきた私のキャリアが物語っている。
たかがキャストと侮るなかれ。
どんなに食いっ気のある魚たちも、私にかかれば一瞬で沈黙。
四方八方に投げ散らかす所業は、シーバスを遠ざける蛮行でしかないのだ。
2年半の歳月を経て私は確信した。
低活性や大型の個体ほど、鼻っ面にルアーを通さなければ食ってこない。
こんな当たり前のことがやっとわかった。
今年は散々な一年だったが、ひとつだけ大きな収穫があった。
初めて「見えシーバス」を釣ったのだ。
しかも私のすぐ目の前で。
生のバイトシーンには唸る他なかった。
これが私のシーバス概念を大きく変えた。
晴天が続いたことも手伝ってか、その河川は凄まじく透明だった。
橋脚の常夜灯下では底まで視界が届く程だ。
手前にシーバスが居る。
まあ橋脚明暗ではよく見かける光景。
しかし今日は勝手が違う。
いつもの何となくの朧気な魚影ではなく、シーバスの姿形までくっきりと見える。
これはいっちょ狙ってみるか。
ミノーをぽちゃん。
つうこんのいちげき。
しまった、シーバスの後ろに投げちゃった。
仕方ないな、ダウンからゆっくりと魚の目の前まで引っ張ってみるか。
…
魚の真上をサーフェスワンダーが通る。
…
やはりダメか。全く反応しない。
もう一度ぽちゃん。
かいしんのいちげき。
おお、これはいいぞ、いいところ行った。
アップから流してゆき、ちょうど魚の目の前でターン。
…
よし食え!
…
…
…
ダメだ、食わない。
…
レンジが合ってないのかな?
どうも魚はルアーより深いところにステイしているようだ。
しかし運がいい。魚が逃げない。
音を立てず注意しながら、少しレンジの入るサイレントアサシン99Fにチェンジ。
神様、どうかお願いします。
三度目の正直だ、えいっ。
つうこんのいちげき。
緊張でテンプラ。
あらぬ方向への山なり放物線。
くっ…もう死にたい。
こんな近くへ投げるだけなのに。
ゆっくりと深呼吸して再度ぽちゃん。
かいしんのいちげき。
きた!いいとこきた!
先ほど同様、アップからスローに流し込む。
シーバスの目の前でターン。
…おっ?
シーバスが反応した!
…ま、マジで?
魚は興味を示してゆっくり追いかけてくる。
慌てるな慌てるな!
巻くな巻くな!
そのまま。そのまま。
1、2秒後…
ガツっ
おっしゃ食った‼️
これが今年一番のハイライト。
人生初の見えシーバスの釣果。
これまでの私は、河川のシーバス釣りに対してもっとアバウトに考えていた。
細かくレンジを刻む必要なんてあるの?
とりあえず魚の近くに寄せておけばいいんじゃない?
ルアー見つけたら魚は追いかけてくるって。
全て間違っていた。
活性の高い魚など、そもそも少ないのだ。
「ルアーをシーバスの鼻っ面に通す」ことは、やはり正解だった。
こんなスタンダードを理解するまで膨大な時間を要してしまったが、価値ある経験をさせてもらった。
シーバスの生態に少しだけ近づけたようで、なんだか私は嬉しい。
しかし、実は問題はここからなのである。
私は頭を抱えてしまう。
そう、我々は天下の運動オンチ組合。
略してオ組。
我々には決して越えることが出来ない高い壁が立ちはだかっているのだ。
仮にシーバスの居場所が特定出来ても、そこにルアーをキャストする能力がついてこない。
我々には常に難題がつきまとう。
辛い現実だ。
投げ散らかす→スレる→ホゲる
そんな構図しか浮かばない。
一体どうしたらいいの赤ペン先生?
私に運動神経が足りないことは先に伝えた。
勿論これからもキャストの練習は続ける。
ずっと努力はしていく。
が、私は半分諦めの境地に至っている。
ここまで卑屈になるのは理由がある。
女々しいようだが、私の愚痴も兼ねてどうか聞いて欲しい。
これは私にとって忘れられない出来事。
小学生時代のある運動会、父が親戚から借りてきた8mmビデオカメラで私の徒競走を撮影した。
レース結果は5人中5位だったと思う。
いつもの私の定位置であり特段変わったことはなかった。
問題はその後だ。
その晩、家族で食卓を囲みながらそのビデオを観て私は愕然とした。
生まれて初めて客観的に見た「走る自分」は、想像していた「走る自分」とはあまりにかけ離れていた。
現実は残酷だった。
縦方向に力強く動かしているつもりの私の両腕は、肘を軸として左右横向きにだらしなく振られていた。
しっかり握りしめているはずの拳は、四指がピンと伸びきっていた。
学校で流行ったあの南斗水鳥拳のように。
私は見事なまでの女走りだった。