私の住む九州エリアはどうやらシーバス河川に恵まれているらしい。


らしい、と言うのは悲しいかな、私には釣友がおらずリアルな情報が遮断されているから。

また、自身が全く釣れておらず、シーバス釣りの恩恵を実感したことが一度もないから。


しかし、それはどうやら思い違いのようだ。


私はキャリア3年目となるが、SNS関連、動画や雑誌などでシーバス知見が広がってくるにつれ、やけに九州の河川が目に留まるようになった。


佐賀の筑後川

大分の大野川、番匠川

熊本の緑川、球磨川

鹿児島の川内川、肝属川

etc…


ずらりと並ぶ一級河川。

熱心なシーバスアングラーであれば、居住地に関係なく耳にする河川だと思う。

九州一円が河川シーバスのメッカと言っても過言ではないかも知れない。


しかも恐ろしいことに、今挙げた河川の殆どが私のルーティンに含まれている。

私の釣りには実に大きなアドバンテージが備わっているのだ。


距離の問題で各々足繁く通うことは難しいのだが、それでも少なくとも年に数回ずつ釣行出来ている。

これだけ豊かなポイントに支えられながら過ごせているのだ。


私は幸せだ。


ただ一番恐ろしいことは、そんな超メジャー河川を渡り歩いている私の釣果が壊滅的な乏しさであるということだ。


焼け野原なのである。


伸び盛りのはずの3年目。

今年のシーバス打率は余裕で1割を下回り、60cm以上のスズキクラスに至っては2本しか捕れていない。

あまりにも空振り続きで、最近では振り逃げ狙いで打席に立っているくらいだ。


私は九州を代表する河川相手にシーバス釣りを繰り広げながら、その実ろくにシーバスを釣っていないのである。


恥を忍んで言おう。


有明シーバスを夢見て筑後川。

ポイントの下見だけで何日潰したろう。

釣行回数は二桁に届いたが、未だノーバイト。

ただの一度すらコンタクトを貰えていない。

自分が恐ろしくなる…。

エツパターン?

暑い中トライしたが死んだほうがマシだ。


巨大シーバスを夢見て番匠川。

往復6時間の小旅行を積み重ね、これまで掛かった交通費は累計10万円突破。

釣果は35cmひとつ。

セイゴ1匹=10万円也。

アカメ?

耳が腐る。その前にフッコを目指そう。







シーバス釣りって本当に難しい。
この2年もの間どっぷりと浸かっているが、はっきり言ってまだ何の手応えも感じていない。
基本的に釣り方を理解していない。
シーズナルパターンのヒントさえ掴めていないのだ。
特に遠征先では。

シーバスと繋がった、と一度くらいは感じてみたい。
残念ながら繋がる見込みはまったくない。

私はこの上なく無力だ。

最初はメジャーな河川に行けば簡単に釣れると思っていた。
魚影が濃いところなら楽勝だろう?
そう思っていた。

現実は違った。

本流、支流。
河口、下流、中流、上流域。
橋脚、ストラクチャー、瀬、オープンエリア。
シャロー、深場、ブレイク。
流れ、淀み、ヨレ。

wow…

そこへ多種多様のルアー。
ミノーありペンシルありトップあり。
バイブもあればワームやブレード。
サイズだって色々。

これにそれぞれの使い方まで加わるのだ。
巻き、流し、アクション。
キャストコースがどうのこうの。
リトリーブスピードがどうのこうの。

wow…

最後に上げ潮、下げ潮。
そして四季折々のベイト。

もはや途方もない選択肢だ。
頭がおかしくなる。


広大な河川を目前に思う。

一体どこで何したらええの?涙






私はホームとは別に、ルーティンとして大小あわせ15程度の河川を廻っている。
年がら年中いろんな河川に立っている。
広く浅い釣り。
非効率きわまりない、と自分でも思う。
いつまで経っても釣れないわけだ。

ひとつの河川だけでも沢山の攻め方がある。
私はまだ未体験だが、ウェーディングの釣りまで含めたら、恐らくポイントなんて山ほどあるんじゃないか?
大きな河川であるほど特にその傾向は顕著だと思う。

地形、流れ、ベイト、濁り…河川ごとに全く違う顔を持つ。
私のルーティンの全攻略には果てしなく時間がかかるだろう。
残りの人生全て懸けても疑わしい。
私のような生粋のシーバス音痴なら尚更である。

しかし、これが楽しいのだ。
釣り場が変われば気分は一新する。
ロケーションだってそれぞれ違う。
土地の食事や観光など副産物もついてくる。
釣れずに腐してしまうことはしょっちゅうだけど、幸いずっと楽しいままだ。

川の航空写真を眺め、あれこれ想像する。
下見を重ね、ポイントを絞る。
歯を食いしばり、時間を捻出する。
実際に釣行し、涙に暮れる。

私の2年間だ。



私はシーバス釣りをライフワークとして捉えているが、そのためには「飽き」と上手くバランスを取る必要があると考えている。

私はエギングにおいてこの「飽き」の部分で大失敗した。
10年もの間、阿呆の如くほぼひとつのポイントで固め打ちしてしまった。
繰り返すが10年である。
再現性を通り越したマンネリ。
時期、潮、風、時間。
釣れる釣れないが手にとるようにわかってしまった。

釣れる喜びはいつしか食べる楽しみに変わっていた。
しまった、と気づいたものの時すでに遅し。
新たなポイントの開拓をする情熱すら持てなくなっていた。
あれだけ好きだったエギングを、私は自分自身の手で葬ってしまった。
悔やんでも悔やみ切れない。

私から釣りがなくなれば、ただの枯れ枝おじさん。
それがわかっているからこそ、エギングの手痛い経験を是が非でもシーバスライフに活かしたいと思っている。






「犯人はヤス」

日本中がひっくり返った衝撃的なこの事実を、クラスメートやご近所界隈に最初に告知したのは私だったと記憶している。

ポートピア連続殺人事件。
全ての子供たちがファミコンに夢中だった熱き時代。

当時はインターネットもなく、攻略本などを除けば何の情報もなかった。
貴重なお小遣いでクソゲーを掴んだ現実を認めたくなくて、誰もがひとつのゲームソフトに膨大な時間を費したものだ。
子供たちは何の手がかりもないまま、恐ろしいほどの集中力とマンパワーでクリアを競いあった。

ご多分に漏れず私もそう。
ウチに帰ってポートピア。
晩飯食ってポートピア。
ズル休みしてポートピア。
早朝、居間の電気も点けずポートピア。

結果、私は誰よりも早く真相を知ることが出来た。
視力を代償に周囲からの尊厳を勝ち取り、言葉にできない達成感を手にしたことをよく覚えている。






ポートピア連続殺人事件とシーバス釣りはよく似ている。

立派な中年となった私だが、今、あろうことか子供に戻ってしまった。

攻略本は必要ない。
ひとつひとつ自力で進んでいくのみ。
時間をあてがい、一心不乱にやり込むだけ。
その先に待っているであろう達成感は、きっとあの日と同じはずだ。

正解を知るルアーフィッシングなんてつまらない。
種明かしされた謎解きなどは何の価値もない。
犯人がヤスだとわかっていれば「こめいちご」のヒントに悩む必要すらないのだ。

あと何年、何十年かかってもいい。
幸い時間はたっぷりある。
いつかの川口探検隊のように、私はゆっくりシーバスの謎に迫ってゆくつもりだ。