私には魚釣りしかない。

私は娯楽を知らず何の特技もない。

仕事に追われ、生活に追われる日々を過ごすありふれた中年。
水の流れるように月日をまたぎ、気がつけば人生の折り返し地点をとうに過ぎてしまった。

色褪せた毎日だとは決して思わないが、若い時分に持っていた沢山のものを失くしてしまったのも事実だろう。

そんな私の心を慰める唯一の時間、それが釣りなのである。

私にはやはり魚釣りしかないのだ。







ある程度の年齢になるとわかる。

どんなに夢中になるものを見つけても、やがて飽きが来る。
それは前触れもなく突然輝きを失ってしまう。

読んで字の如く、永遠に続く夢中はない。

夢はいつか覚める。

シーバスフィッシングを知ったとき、その魅力にどっぷり浸かってしまったとき、それに飽きてしまうことが一番恐ろしかった。
やっと見つけ出したこの楽しい時間を失うことが怖くて仕方なかった。

この喜びにとって代わるものが早々に現れないだろうこともよく知っている。

だから私はシーバスをはじめたときからずっと飽きを意識している。

釣果より、積み重ねの中にあるささやかな発見を第一に楽しんできた。




私にとって難易度の高い釣りだということも幸いした。

ゆけどもゆけども釣れない。
通えども通えども答えが出ない。

これまでエギングや青物ゲームを好んでやってきた。
回遊性の高いターゲットが相手だ。
基本居れば釣れる。釣れなければ居ない。
簡単だと思うことは決してないが、私の中で白黒がつけやすい。

シーバスをやって驚いたこと。
そこにいるのが分かっているのに食わない。食わせられない。
こんなセンシティブな釣りは初めてだった。

その新鮮さがまた良かった。




このブログだってそう。

自己満足でいい。
この釣りにかけた情熱を何らかの形に留めておきたい、回顧録をつくっておきたいとの思いからはじめた。

もうひとつの理由として先の通り。

飽きないための工夫、長続きさせるためのひとつの手段なのである。

私は爺になっても鱸を追いかけていたい。

私はシーバスフィッシングの虜なのだから。








今年は大変な一年だった。

未曾有のパンデミックが大勢の平穏を奪った。

不本意ながら釣りから離れざるを得なかった愛釣家の方々も多数いらっしゃると思う。
同じ釣り人として本当にいたたまれない。

私は運良く釣りを続けてこられた。

大好きな釣りを手離さずに済んでいる。

これ以上の幸せはない。

釣りは当たり前ではないのだ。

その気持ちを噛みしめて過ごそう。








今年もあと少し。

皆様、どうぞ心穏やかなお正月を。

気が向いたらまた覗いてください。