2019年8月。

何も釣れなくて…夏。

トップルアーを遠投させるだけのスポーツと化した私の釣りを救ってくれたのはコアマンVJ16だった。

待ちに待ったシーバスをやっと河川で釣ることができた。

6月の海デビューから2ヶ月足らずではあるが、シーバスにたどり着くまでに60時間ものノーバイト期間を要してしまう。

60時間である…。
なかなかの時間だと思う。

私の未熟な腕前のせいだろうか?
それともアングラーたちは皆こうやって苦労を重ね、長い沈黙を経た後、ようやく価値ある一匹に出会うのだろうか?





さて、川デビューしたはいいものの私のホーム河川を決めなければならない。

家なきおじさんのままはよくない。

初ヒットの河川はたまたま通りがかった遥か彼方だ。
高速で片道2時間…アウェイにもほどがある。

うーむ…。

どうすべきか…。

私は海に面した場所に住んでいるが、近所にシーバスが期待できるような河川は全くない。
これまで気にしたことはないが、私のウチの周りにはそういえば川がないのだ。

街中には一本流れている。
しかし汚い。日本屈指の汚染水である。
かつては全国で5本の指に入るレベルの汚さだったと聞いた。
その川の近くに住んだ経験があるが、シーバスアングラーなど見たことがない。
目視レベルで生き物すら見た記憶がない。

ここでシーバスをやるくらいなら、私なら自決を選ぶ。






あそこしかないか…。

ひとつ思い当たる河川はある。
市外にある大きな河川だ。
大河川と言ってよいだろう。
少し私のウチからは遠いのだが。

これまで川の釣りをしたことのない私は立ち寄ったことすらないが、シーバスポイントとして非常に有名である。

むむ。

しかし腰が重い。

私はいわゆるメジャーポイントは大の苦手だ。
まず以て釣り人の多さに辟易してしまう。
純粋に釣りを楽しめないのだ。
こちらは自然相手の遊びをしたいだけ。
何もわざわざ人混みに向かう理由はない。

しかも釣果も期待できない。
メジャーポイントだけに確かに魚影は濃いのだろう。
しかしアングラーの数が増えれば増えるほど魚はルアーにスレる。場が荒れる。
難易度はぐっと高まるだろう。
単純に魚よりアングラーの数が上回ればそれまでだ。

結果、メジャーポイントでは個々の釣果は下がると私は感じている。




私は幸い平日に釣りが出来る人間だ。
釣り人の多い日少ない日、そのギャップを経験している。
私の持論として、陸っぱりにおけるルアーフィッシングは釣り人の数と釣果が反比例すると思っている。
釣り人は少なければ少ないほどよい。
私が稀に大釣りをするときはルアーマンは決まって私ひとりだ。

魚影=濃い/アングラー=濃い  
魚影=薄い/アングラー=薄い  

どちらのポイントを選ぶかは結局好みだが、私は断然後者だ。

だから私はエギングも青物もメジャーポイントには行かない。
誰もたち込まない不人気波止でエギを投げる。
皆が素通りする不人気磯でプラグを投げる。

同じルアーマンが見ればきっとドン引きするだろうが。

(あのおっさん、あんなどシャローのウンコ磯でなにしてんの?)

そんな心の声が聞こえるようだ。


…もちろんハズレは多い。
ほとんどが釣りにならない。
当たり前だ。
ただそんなマニアックな場所にも意外とお目当ての魚がいたりするものだ。
通うウチに特性も見えてくる。
ここは長潮·若潮など潮が動かないときがいいとか。
干潮からの上げはじめがいいとか。


そんな自分だけのポイントを見つけたとき。

苦労しただけ喜びは深くなる。










それにしても、わずか50cmのフッコ。

私の記念すべきファーストフィッシュ。

しかし釣り人によってこうも変わるものだろうか。

私にとってはかけがえのない一匹だが、ある人にとってみればごくありきたりな一匹だろう。
キャッチの瞬間私は深い感動を覚えたが、そのサイズに落胆する人だっているはずだ。

十人十色。

いろんな人があっていい。

ただ、私は釣りは浪漫でいいと思っている。

釣果はおまけでいいと思っている。

数やサイズを追うのもいいが、少し寂しい気もする。

下手くそでいい。
ホゲ続けていい。

一匹の魚に心奪われる釣りをしたい。

50cmのフッコに感動する釣りをしたい。

私はそんな釣り人で在りたい。

































そんな私のささやかな願いは、


























ランカーを釣ることです
(出来れば年に数本)












私のホーム河川











メジャーポイントで決定


















だってどうせならランカー釣りたいし
初心者はメジャーポイントからでよくね?