育児には直接的に関係ない話です。長文です。私の心のモヤモヤの吐き出しを含みます。
ご承知いただければ幸いです。
何度か記事にしたことがありますが、私と実母の関係性は複雑です。理由は、母の信仰しているエホバの証人という宗教。
私の旦那はその宗教組織から排斥(破門)されている立場なので、信者である母は旦那を徹底的に避け、万が一顔を合わせても絶対に口を利きません。
私は排斥されているわけでも無視されるわけでもないけど、心情的に母と会いたくないという理由から疎遠状態でした(父は信者ではないため、定期的に会っています)。
下の過去記事に詳しく書かれています。
ええ。
『疎遠状態でした。』──過去形です。
つまり、今現在母との行き来を再開しています。
ここ半年のうちに3回会いました。長男と次男も一緒に。もちろん旦那は抜きです。
なぜ、母と会おうと思ったのか。
なぜ、子どもたちを会わせようと思ったのか。
それは、半年前に私が義父の介護をし、看取り送り出すという経験をしたからでした。
義理の親ということで気を遣うことや価値観の違いもありましたが、私と義父は仲が良かったです。昔話をいろいろと聞かせてくれました。年寄りの昔話と侮るなかれ、これがまた聞き応えのある内容なんです。
特に、まだ15歳の時に奉公先で伊勢湾台風により被災し、水没した家の中で暮らした話はすごかったな。
水が引かないから買い物や仕事に行く時は舟を使っていて、その舫い綱が外れて舟が流され、親方に「バカタレ!取ってこい!」と水の中に突き落とされ、死ぬ気で泳いで舟を取りに行ったそうです。
「舟に追いついて上がれたから良かったものの、もしダメだったらあそこで死んでたよ」
と笑って話してくれました。
義父はもういないけれど、その会話や思い出は私の心に刻まれています。よく子どもたちを連れて会いに行き、一緒に時間を過ごし、介護も病院通いも施設探しも頑張ったあの日々は、決して無意味ではなかった。義父が帰らぬ人となった今、寂しさはあるけれど後悔はないのです。
そして、自分の両親に対してもそう思えるか?と今一度自分に問うてみたわけです。
私の両親は若い(60代)からまだ先かもしれないけど、その時が来たら私は後悔しないだろうか?と。
母に孫の成長を見せてあげれば良かった、寂しかったのではないかと悔やむかもしれない。
父にいらぬ苦労をかけてしまったと嘆くかもしれない。
エホバの証人なんていう、くだらないもののために家族を分断させてしまってたら、それは私たち家族がまさにそのくだらないものに負けたということになるんじゃないか。私が母に歩み寄れば……
悩みました。だってそれは、母が旦那を徹底的に避けるという事実を認めて譲歩することを意味するから。でも旦那は、
「全然気にしないよ。あなたがいいと思うことをすればいい。それでいいと思う……まだあなたたち家族は手遅れじゃないと思う」
と言ってくれました(ちなみに旦那の家族は、この宗教のせいで一家離散に近い状態になっていて、義父の介護も手伝ってもらえませんでした)。旦那は、母よりもずっとずっと大人なんだなと感じました。
母も父も、私の申し出を喜んでくれました。
母とは久しぶりに会ったものの、意外にも普通に話すことができました。
先日はついに次男から『おばあちゃん』と呼ばれていました。特に反応はなかったけど、嬉しかったと思う。長男はいまだに発語なしだからね。
次男は母(おばあちゃん)によく懐き、一緒に遊んだりお話をしたりしています。父と母は孫の成長を共有できるので、父が変に気を遣うことも少なくなったかなと思います。私も母と育児の話ができるのは新鮮です。
これで良かったのかなと思います。
もちろん、旦那の話や宗教の話はしません。話題は選びます。そして、やはり本音は話せない。
そして、母と話してると……なんだろう、違和感がある。何となく見下されているような。
例えば、
「どうせ化粧してないんでしょ」
と言われたり。
「いや、一応してるけどねー…」
と返すけど。花粉症がひどいから薄くファンデーション塗って眉毛書いただけだったし、コンタクトじゃなくて眼鏡だったからスッピンと思ったのかな…でもなんか言い方にモヤモヤしてしまった。
どのみち長男がベタベタ顔を触るので、あまり厚塗りしたくないという事情もあるけど、まぁ何も言いませんでした。
母もね、悪い人じゃないんです。いろいろしてくれるし。きっと私と合わないだけだと思う。
そして長男は、母がいると緊張しているように見えます。いつもみたいに笑顔を見せたり、声を出すこともなく、表情が硬いまま。父(おじいちゃん)の膝に乗ったり手を差し伸べたりと、そっちにはしっかり甘えてますが。
ちなみに弟夫婦や妹夫婦が遊びに来ると抱っこをせがんだり、ニコニコと甘えたりします。弟夫婦は会う頻度もそれほど多くないのに…。
まるで、私の心情を見抜いているかのよう。長男にはそういった繊細さがあるのです。
母との交流を再開させたことに、後悔はない。
でも、それでめでたしめでたし仲直りとはならない。ただこっちの方があっちよりマシってだけで、最善の道なんてないんだろうな。だから私は多分、ずっと迷い続けるんだろうな。
でも、書いたから少し落ち着きました。
読んでくれた皆さん、ありがとう。