「きっとおひげが長いんだよ」 | 楽つみ木の世界 

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親子で遊ぼう 月組 担任 N真知子

 

月組の子どもたちとは、つみ木おじさんが来て頂けるとわかってから、「どんな人なんだろう」と期待で胸をふくらませて楽しみに過ごしてきました。


「きっとおひげが長いんだよ」「下まであって床についたら2つにわかれていると思うな」
「どこから来るのかな」と可愛らしい声がたくさんありました。
そして迎えた当日は、
赤いじゅうたんとその周りのお父さんお母さんに嬉しさでいっぱいな様子でした。


つみ木のシャワーからスタートで、いつも遊んでいるつみ木が自分にかけられるなんて予想もしていなかったことでしょう。木の香り、身体全体で触れ、つみ木に親しむ姿、子どもたちの五感を刺激してのつみ木遊び学ばせていただきました。

 

 

「親子で遊ぼう」なので、親子で一緒に作ったりするのかな、と思いきや、子どもの作る物には口を出さず、親も親同士話しあったり、作ったりする中で、子どもに戻ったように遊ぶことができた時でした。

 

最後にあれだけひとつになって、できあがった世界を見ると、親(大人)には、大人のよさ、子どもたちには、子どものよさがあり、一緒に作らない理由を少し感じました。

 

なんと言っても子どもの作る物には、ユーモアがあったり、可能性を感じ、とても魅力的でした。私もそうですが、大人はどうしても形を考えたり、頭で完成図を想像して作り始めていますが、子どもたちは手が先で、作りながら形を変えていきます。子どもならではの感性だなとうらやましく思います。

 

大人の手や口が入らないからこその表現でした。

ただ、生活の中でつみ木遊びをしていたときに、3つの違う形を組み合わせて遊ぶこと、もっと声をかけていればよかったなと思いました。1つの形だけでなく、違うものを入れることでの面白さや可能性、今回とても感じました。

 

 

また、私は「頭で考えすぎだ」と言うご指摘を頂き、はっとさせられました。固定概念でったり、概念があることは、私の最大の弱点なのです。

 

つみ木にも現れてしまった。と反省で、お声をいただいてから、いろいろ置き方を変えて試してみたり、ただ思うままに積んだり、くずしたりと繰り返して作ってみました。近くにいた子どもたちにヒントをもらったり、見て学んだりと充実した時でした。
台形のつみ木が、いろいろな置き方ができると身体で感じた時、なんだか固まっていたものが少しずつ溶けていくようなそんな感覚がしました。

 

 

これは日頃の保育にも通じて考えられる部分であると思います。クラスの中でも大人は私一人なので、私の感性で声をかけ、生活をしています。それは裏を返すととても怖いことです。私がいいと思ったことや、子どもを見る目が固まっていたら、よいものを見落としてしまうからです。

 


自分の感性や感覚がすべてではなく、つみ木遊びの様に色々と試し、工夫し、考えることが、新たな発見や可能性を広げることにつながっていくのではないかと思います。

 

多方面から見ることを心にとめ過ごして参ります。
そんな当たり前だけど大切なことに改めて気づかせて頂き感謝です。子どもも、親も、保育者も、思いっきり遊んだと思える一日で、その中から遊びの魅力、

 

 

子どもの力、大人のあり方、様々なことを感じることができました。ありがとうございました。

 

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