哲学からシンギュラリティを考える | 人間と地球と文明と哲學

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私の夢「地球そして宇宙を、生命・命の楽園、愛と感謝、勇気と智慧、創造と學びの場とする」を具体的に表現する手段の一つとしてブログ始めました。

<人間と自然とAIと哲学> No. 4


昨日、
「シンギュラリティ論は大事だけれども、
人間および人類にとって、もっと大事な事がある」
と記しました。


その事に関連して、


西洋古典(ギリシャ・プラトン)学者である 納富信留氏 と、
東洋哲学・中国哲学研究者である 中島隆博 氏

 (いずれも東京大学大学院教授)

の対談にて、次の会話がありましたので載せます。
(以下10minutesTV 「哲学から考える日本の課題」 

からの一部抜き書きです)


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納富:
AIのIはインテリジェンス、知性のことで、

ギリシャ語で「ヌース」と言うのですが、

古代ギリシャ人は、ヌースは宇宙全体だ、

宇宙全体にあると考えられ、人間はその一部に

少しだけ与っているに過ぎない、という発想でした。


現代人は、宇宙全体だとは全く考えていません。
頭の中にあるのが知性であり、外に展開したところ、

人間より少し優秀なものができてしまい、

怖がっていると言う状況です。


しかし知性が持つさまざまな可能性自体は、

人間の理解と能力を最初から超えています。


ですから、私はこの議論に全く驚きません。


「 まあ、何が起こるか分からないけど、それは起こるよね。
 そもそも知性って、人間を超えてるから。 」


という感じです。


逆に言えば、

宇宙レベルで考えたら何が起こるかという事は、

もう少し考えても良いかも知れません。


知性とは、

人間の頭の中で起こっている計算などのことではありません。


古代や中世においては、

完璧な知性のことを 「神」 あるいは 「宇宙」 と言う名前

で呼んでいました。


私達がコンピュータを作るという事は、

実はこうしたより大きな知性に関与しているという事なのです。

 


中島:
私もおっしゃる通りだと思います。


シンギュラリティに達するかどうかという事は

それほど重要な問題ではありません。


どちらでも良いでしょう。


それを人間がどのように受け止めるのか

と言う方が、はるかに重要です。


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今日はこれまで。