自分にとって、

とてもとても「大切な教え」って、

ありますよね。



私にとっては、

「斎藤一人さんの教え」が

それなんですけれど…




私にとっては…


「人生を好転させてくれた、かけがえのない教え」


なんですね。




そういう教えを、

家族とか、兄弟とかに伝えたときに…


(本を持っていったり、

CDを持っていったりしたときに)



あまりピンとこない感じだったり…


「オレ、そういうの、いいや…」


というような反応だと…





私のような「未熟なヒト」はこう思うわけですね。




「…もう、いいっ! 

そんなこと言うなら、

もう絶対にあげないから!


バタン!(←ドアをしめる音)」




ところが、ひとりさんから

こんなお話をいただいたんですね。



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あのね、「教え」っていうのはね…



「求めている人」に、伝えるものなの。



イヤがっている人に

伝えるものではないんだよ。




たとえ、家族や身内であっても、

「いま学ぶことが別」

っていう場合があるんだよね。




陽子ちゃんの場合、

弟さんは聞いてくれないけれど…



ブログの人は、聞いてくれるっていうのなら…



まず、一生懸命伝えるのは、「ブログの人」なの。




「教え」っていうのは

「受け取るタイミング」っていうものがあって…




「教えをほしがっていない人」は…


「受け取るタイミングが、まだ来ていない」


っていうことなんだよな。




それなのに、

ムリに伝えようっていうのは、

相手のためじゃないの。



「自分のため」なんだよ。




「弟が、このままだったら、大変だな…」

っていう自分のエゴなの。




弟さんが病気を続けているのなら、

そこから陽子ちゃんが

学ぶことがあるからなの。





陽子ちゃんが、

うわっつらではなくて

骨身にしみてわかるまで…


「弟さんを通じた教え」は続くことになるんだよ。






とにかく、

陽子ちゃがいまやることは…


「求めている人」に、伝えること。



それが、

神さまが陽子ちゃんに、

いちばんやってほしいと願っていることなの。




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なんか、このお話を聞いていて

肩の荷がほっと降りたような気がします。




私のやることは、

「求めている人」に、

ひとりさんの教えを伝えること。





この順番をまちがえないようにしたら…



自分も心がほっとするし…


弟も、家族も、み~んな、ラクですね♪









あなたがますます

幸せで心地よくあることを

私はいつも応援しています(*^_^*)




今日も、ありがとう。

いつも、ありがとう。




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