母の死を通して学んだことは


「人はいずれ、“もれなく”亡くなる」


ということです。



だから、

生きている「今この瞬間」を、

「今日」という日を、

いかに楽しむかが勝負。



辛い、悲しい、苦しい、我慢…。

「無難に生きよう」「私なんて」

そんな気持ちは

もう一切、いらない!ということ。



私は、そう実感しました。



そう思って、

毎日の生活を見直すと、

「とにかく無難に」

という選択が

いかに多いかに気づきました。



たとえばネイルサロンで、

「わあ、素敵だなあ」

「かわいいなあ!」

という色をやデザインを見ても、

「こんな色、目立ちすぎるかも」

「もっと無難にしておこう」

という気持ちがわきあがって、

無難な色やデザインを選んだり。



ともすれば

ネイルサロンに通うことさえ

「私には、贅沢かも」

と思っていたり。





洋服を選ぶときだって、そう。


肩を大胆に出したドレスを

パーティに着て行きたいのに、

「こんなに露出するなんて、どうなの?」

「もっと無難な服のほうが、普段も着れるかも」

などと思いなおしたり。





仕事だって、そう。


断るのが恐くて、

そんなに興味がない仕事を受けて、

大好きな仕事の時間を

減らしてしまったり。





恋愛だって、そう。


この人に魅かれていることが

はっきりわかっているのに、

「こんな大それた

気持ちを持つなんて」

と思って、あきらめようとしていたり。


ともすれば

傷つかないために、

そもそも「恋心」さえ

持たないようにしている。






この「遠慮の皮」は、

なぜこんなに

しつこく残っているのでしょう。





どんな人だって、

いずれは“もれなく”死を迎えるのに!





そう思って、考えてみたら…



この「遠慮の皮」が

いかにバカバカしい遠慮か

身にしみて、わかるのです。






もう「遠慮」は一切しない。

ファッションも、仕事も、恋愛も、夢も…。



たとえ、大胆に行動して、

傷つくことがあったとしても、

死ぬときに、

「ああ、あれをやっておけばよかった…」と

後悔はしないでしょう。



そう思って、

今日という日をむかえると、

すべてのことが

イキイキと見えてくるのです。





生きているって、すばらしい。

生きているって、大切な時間。





今日も、ありがとう。

いつも、ありがとう。


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