最近、思うこと。


お仕事の面では優秀であっても。

お金に恵まれていても。

すごい肩書きをもっていても。



どうしょうもない「さびしさ」を

抱えている人が

多いんだなあ…ということ。




かつての私自身も

似ている部分があったから

よけい、それを感じるのかもしれない。

(私はそんなに優秀でも、

お金持ちでもなく、

すごい肩書きも持っていなかったけど…)




たとえばね、こんな人。


***


いつもいつも忙しくて。

まいにちが、分刻みのスケジュール。


つねに目標を、高く、高く、もって。


自分でハードルを、どんどん上げて。


心を切りきざむようにして、

仕事にあけくれている。


***


でも、本当は、とっても孤独で。


毎日、たくさんの人に会うのに

だれにも心の扉は、ひらけなくて。


苦しくて「もうやめたいよ!」って

言いたいのに言えなくて。


どうしょうもない気持ちの

持って行き場がなくて。


それをまた

「がんばること」で

晴らそうとしてしまう。



***



以前の私は、

こういう人をみると、

たまらなくなってしまっていたのね。



「同病相哀れむ(どうびょうあいあわれむ)」

ではないけれど、

私に、なにかできることはないか…

なんとかお役に立てないか…と

思ってしまっていたんです。



そう、いままでは…。



でも、現実は、

私のその「過剰な気持ち」が、

ややこしくて

難しい関係を生んだり、

お互いを傷つけあったり

悲しい結果を招いたりもした。




そのことに、気がついてしまったの。



だから、私も、

少しずつ、変わりました。



いまは、こう思う。


「孤独」を抱えている人に

私にできることは…


「こころを向けて、相手の話を聴くこと」


「知っていることや、

いまの私にできることは、

惜しみなくシェアすること」



それだけ。

とてもシンプルな対応なんだよね。



大切なのは、

「孤独を卒業するかどうかは、その方が決める」

ということ。


それ以上の心配や押しつけは、

「おせっかい」

になってしまうということ。



その方が、

「本当に、自分は卒業する!」と決めたときに。


その方の、いちばん、ちょうどいい時期に。


孤独からの「卒業」を迎えられること。

いつも祈っています。




孤独から卒業すると、

おだやかで

やすらかな「光」が待っているよ。


たくさんの仲間が待っているよ。


もう、さびしくないんだよ。



今日も、ありがとう。

いつも、ありがとう。