もう悩まない | 恵翠(けいすい)書道教室

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このところ書道塾の教師としてはとても充実した日々を送っていると思う。しかし、プライベートとしては、人生で最も悩みの大きな日々を過ごしてきたような気がする。両親の介護のこともある。しかし、そちらの方はいつの間にか慣れて来て完全に生活の一部となっている。真理探究においては読書量が半端でなく、悲鳴を上げている状態だが、これも決して悪くない。

一番大きな悩みの原因は、聖書の成就という形で今年起こるかもしれないことについてである。これは真理探究から脱線して入って来た情報ではあるのだが、いつの間にかその情報に翻弄されてしまっていた。3.11のような大地震がやってきて、放射能汚染のために盛岡から北の地に逃げなければならないイメージも持っていた。しかし、それを上回る恐怖のイメージが飛び込んできて苦しまされた。

結局、自分の中ではこのことについては完全解決し、もう悩まないことに決めた。そして、こういったことはもうブログの記事には書かないことにした。これからは、教育的な記事だけ書いていこうと思う。














2016年に成就するかもしれない聖書の御言葉

あえて詳しくは書かないが、ヒントのキーワードを参考に必死で調べるのなら、この聖句の意味がきっと理解できると思う。


〔聖句A〕(マタイによる福音書 24章36節~42節)
その日、その時は、だれも知らない。天使たちも子も知らない。ただ、父だけがご存じである。人の子が来るのは、ノアの時と同じだからである。洪水になる前は、ノアが箱舟に入るその日まで、人々は食べたり飲んだり、めとったり嫁いだりしていた。そして洪水が襲ってきて一人残らずさらうまで、何も気づかなかった。人が来る場合も、このようである。その時、畑に二人の男がいれば、一人は連れていかれ、もう一人は残される。二人の女が臼をひいていれば、一人が連れていかれ、もう一人は残される。だから目を覚ましていなさい。いつの日、自分の主が帰ってこられるのか、あなたがたには分からないからである
※ヒント:アセンション


〔聖句B〕(ヨハネの黙示録 20章4節~6節)
わたしはまた、多くの座を見た。その上には座っている者たちがおり、彼らには裁くことが許されていた。わたしはまた、イエスの証と神の言葉のために、首をはねられた者たちの魂を見た。この者たちは、あの獣もその像も拝まず、額や手に獣の印を受けなかった。彼らは生き返って、キリストと共に千年の間統治した。その他の死者は、千年たつまで生き返らなかった。これが第一の復活である。第一の復活に預かる者は、幸いな者、聖なる者である。彼らは神とキリストの祭司となって、千年の間キリストと共に統治する。
※ヒント(フィーマ)


聖句Aが先に成就されれば私は生き延びられる。生き延びて、リーダーとしてのビジョンが与えられるイメージを持っている。しかし、聖句Bが先に成就されば私も首をはねられて死ぬことになるだろう。しかも日本でもBが実行されることは確実なようである。素晴らしい祝福が付いてくるわけなので甘んじて受けるしかない。逃げることは考えない。とはいえ、殺される瞬間までAが起こるという大逆転に賭ける希望はある。


と、書いては見たものの、やはりこれは冗談と言うべきしかない内容である。私個人の妄想であり、長年のストレスによる精神障害の一つなのかもしれない。子供たちに悪影響を与えてはいけない。もっと冷静にならなければ…

つまりは冗談なのである。

だから、この問題について悩むことはやめにしようと思う。




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≪追記≫
やはり愚かなことを書いたと思い、削除したくなりました。今後書かない決意のために記事は残しておくことにしました。今年はそんなこと起こりませんよ。悩まず明るく生きていきましょう。