プラス思考 | 恵翠(けいすい)書道教室

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私は、プラス思考の人間だと思う。
声楽を専攻していた学生時代、成績がビリで、先生方からも友人たちからも、

「声楽は向いていないから、やめたほうがいいよ」
とか
「君の歌を聞いていると具合が悪くなるよ」
と言われる始末。

ソルフェージュの教科書でもあるコールユーブンゲンでは、上行音形では割と音程が良いのだけど、下降音形では、どんどん音程が下がってゆくため、アカペラで歌うと、終わりの音は、始まりの音より3度も下がってしまうのである。

そこで、私は、当時はカセットレコーダーのウォークマンにコールユーブンゲンの模範唱のレコードをカセットに録音し、それを通学の道すがら聴くようにしたのである。学校での休み時間にも聴いた。ただ聞くのではなく、下降音形では、音を高め高めに意識するようにして、人のいない所では、声を出して練習をした。

これを毎日やったものだから、東京のとある夏の暑い日、ウォークマンが煙をだし壊れてしまった。そこで、秋葉原で新しいウォークマン・タイプの小型カセットレコーダーを安価で購入し、さらに練習を続けた。この小型カセットレコーダーも1年経たずにモーターが焼けてしまい故障してしまった。

こういった練習の甲斐があり、コールユーブンゲンを暗記してしまったのである。ウォークマンで、適当なところから歌い始めると、楽譜を見なくても、次々歌うことができて、何と終わりまで歌うこともできたのである。この頃には、音痴で悩むことはなくなり、何と歌の成績もビリから一番へと上り詰めることができた。卒業式では、努力賞を受賞し、卒業演奏でトリを歌ったばかりか、入学式で新入生たちの前で模範唱を歌う栄誉も得られたのである。その後、オペラ研究科に進み、校長推薦で、世界的テノール歌手のカルロ・ベルゴンツィ氏の公開レッスンのメンバーに選ばれるなど、充実した学生生活を送ることができたのである。

もちろん、ウォークマンによる練習だけではなく、その間に良い出会いに多く恵まれたこともあった。そのことを話すと長くなってしまうので割愛するしかない。ただ、この頃の私は、まだ洗礼は受けていなかったが、東京・カトリック高円寺教会の朝ミサに、雨の日も風の日も休むことなく、歩いて片道30分以上かかる道のりを毎日通っていた。今思うと、この信仰が奇跡を生んだような気がしてならない。

最近、私の妻が自動車学校に通うようになった。マニュアル免許を取る予定だったが、実技実習を3回連続不合格となってしまったことから、オートマ免許に切り替えたところ、激しい落ち込みから脱出することができたようである。

その際、妻に、私がどうしてマニュアル免許を取ることができたかと尋ねられた。

実は、私も実技試験で、2回連続不合格を取ったのだけれど、あまりにくやしかったので、椅子と机に、段ボールとガムテープ等を駆使し、何と自分の部屋に自動車の運転席を作ってしまったのである。クラッチペダル、ブレーキペダル、アクセルペダルを作り、シフトレバーまでも作ってしまったのである。それを用いて、猛練習をしたことで不合格を出さなくなっていったのである。

そのことを話したところ、自分には才能が無いと嘆いていた妻が、「えっ、そこまでやるんだ」と感心していた。

私は、子どもの頃に暴力的かつ教育に無関心な父の負の教育のために、あらゆるトラウマを作られてしまい、何をやっても不器用な状態からスタートしなくてはならなかった。10歳までは、自閉症で苦しんだ。

しかし、10歳の時にスキー事故で瀕死の重傷を負い、医者にまで見放される回復の望めない状態にあって、プラス思考が鍛えられたのである。周りは絶望視していたのに、当の本人だけは、「必ず治る」と一点の疑いを持つことなく、激しいリハビリに打ち込んだのである。

特に、水泳では、水の中でメモ開けられない金槌が、猛練習の末に、小6の夏休みの記録会で、学校で一番の記録を作ったのである。そればかりか、クの字に曲がり、石のように動かなかった、脈も打たなかった左腕が、動かなかった左手の指が、自由を取り戻したのである。

何といっても、このままでは大変なことになるという「危機感」が子どもながらに強く感じられていて、頑張らなくてはという不思議な力が湧いてきたのである。それまでの、おとなしく、もじもじして何も話せなかった子からは想像の出来ない進化を遂げたのである。この「危機感」がなければ、私はプラス思考の人間にはなれなかったように思うのである。

現在の私は、最低な状態に置かれている。ハローワークに行けば、年齢でひっかかってしまい、最低の労働条件の仕事しかないのである。これまでにとった資格などは、何一つ役に立たないのだ。一般人としては最低な人間と評価されているのだ。ところが、学問の世界では道が開かれている。学問の世界は厳しいが、決して最低扱いされることはない。もちろん、独自の理論を展開できる能力は必要ではあるが…

その最低な状態から脱出することは、かなり困難なことではあるが、決して諦めないつもりである。収入的に、現在の私の状態に生きるなら、自殺する人がいてもおかしくないことだろう。書道教室は、ほぼボランティア労働に近く儲けはわずか。毎日1時に起きて新聞配達をしていても、20代に経験した学生アルバイトをしていた頃よりもずっと収入が少ない有様なのである。

しかし私は、苦しい顔をしてではなく、笑顔で乗り切ってやろうと思うのだ。この苦しみの生活の中に、多くを学び、誰もが到達できないような新しい境地を切り開いていこうと思っているのである。

昨年、東京賢治シュタイナー学校の創立者である鳥山敏子先生の講演会に出席した。その何日か後に先生はお亡くなりになったので、私は先生の最後の講演の受講者ということになる。先生は単に元気というものではなく、パワフルな方という印象だった。どんなに困難な荒れ地であろうとバリバリ開拓してしまう「人間ブルドーザー」のイメージを受けた。それだけに、まさか初めての出会いがお別れになるとは思いもしなかった。

先生とは、講演会の前と、昼食をご一緒した際と、昼食後に個人的に会話をすることができた。その際、先生は、わずか7万円で子どもを育てられた話をなさってくれた。もちろん、どう考えても7万で生活できるわけなどないので、いろいろな人のご厚意を得ながらということなのだろうけど、先生の凄いところは、いろいろな人を巻き込んで、いろいろな人を動かして、しっかりと目標を成し遂げてしまうことなのである。現在の自分の給料は13万円なのだそうで、「誰かに夕食をおごってもらおうかな」などと笑顔で話してくれた。億単位のお金を動かす人なのに…

「あなたいくら稼いでいるかわからないけど、7万以上は稼いでいる筈よね。頭を使えば何とかなるものよ。頑張りなさいね。」

と勇気のお言葉をいただいた。

プラス思考とは、自分に有利に考えること。不利なことに対してはタッキング(方向変換)してもよいのである。自分を過大評価することがあっても、過小評価をしてはならない。とにかく良くなると信じること。一点の疑いもなく、良くなると信じ切ること。いつも自分には、神が味方していると考えること。悪い影響を受けないよう、負けやすい人とは関わらないというか、上手くかわすことが大切なのである。

『100人のやる気のある人に良い指導を行えたとしても、一人のやる気のない人には、100人分の情熱と時間を掛けたとしても、何も伝えられないものである。』




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