これはシュタイナー教育の目的の一つだと思うのだが、子どもたちが、真理(自然の法則)の解明を進めてくれることへの願いも含まれる。
2千年後、もしくは3千年後の人類は、自然の法則の解明が高度に進んでおり、宗教の時代は終わっていると考えている。スラムも格差もなく、国も民族も乗り越えているので戦争もない。生まれ変わる人は誰もが等しく良い学びが得られるのだ。それこそ、宮沢賢治が残した言葉、「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」が実現するのである。
新聞配達をしていて、家とは、人間のカルマ(欲望)の表現だと感じずにいられない。もし、すべての人が集合住宅のようなところに住むようになったら、自然が守られるのに、と思うのだ。
以前、前世の存在の証明について、野生の動物たちで考えるとわかり易いと、次のことを話した。
英国諸島、マン島のミズナギドリは、自分たちのひな鳥をあとに残して旅立ってしまうため、ひな鳥は自力で飛行を習得し、さらにはどこに向かったか分からぬ筈の親鳥を追って、ブラジルまでの膨大な距離を旅をする習性を持っているという。
このミズナギドリは、前世も、そのまた前世も、ミズナギドリだったとする。そうなると前世について「思い出す」という作業はたやすく出来ると考えられる。
ミズナギドリという生命体自体は、スピリット(「物質」=「肉体」を形作る情報、遺伝子情報)だが、別にソウル(魂、脳外情報)があって、いわゆる「思い出す」という作業は、ソウルの方で行われるのではないかと考えられるのだ。スピリットとソウルは別に考えると理解しやすくなってくる。
私たちにおいても、顔の形とかは、父母と似ている存在である。子どもの頃は、親を見て育った関係上、親の行動の性質が刷り込まれているのだが、思春期の頃になると、親とは違う自分を多く発見するようになる。つまり、行動範囲も広がり、人との交流が密になってくると、本来持っている(前世の)自分が出やすくなってくるのである。体の特徴は、父と母と似ていると認めることができても、自分の心は父と母の心(魂)が混ぜ合わさったものと考えると無理がある。
シュタイナーの学び(途中経過のまとめ)
人間の9つの構成要素
精神人間 アートマ―
生命精神 ブッディ
精神自我 マナス
意識魂 自我⇔コザール界、アカシックレコード=カルマ
〈悟性魂〉 インテュイション界 =高次の霊界
感覚魂 インスピレーション界 =低次の霊界
アストラル体 感覚・直観、感情、鉱物と植物にはないが、動物と人間にはある
エーテル体 生命力、生命の法則、鉱物にはないが、植物と動物と人間にはある
物質体 肉体
アストラル体を鍛えると精神自我(マナス)が開け、精神自我(マナス)が鍛えられてエーテル体までも鍛えられると、生命精神(ブッディ)が開けてくるという。生命精神(ブッディ)が鍛えられて、肉体(物質界)を完全に制御できるようになるとアートマーまで開けてきて、いわゆる解脱の境地へと至るのだという。仏教の禅でいう、すべての自我を捨て去る行により解脱に至ると考えるのとは若干異なる。シュタイナーでは、あくまで魂の進化で考えるのである。
※〈悟性魂〉を軸に上下が鏡のように相対している。
※アカシックレコードは、前世の記憶が記録されている〈宇宙図書館〉。
何千年(いや何十万年)という長い時間を掛けて、魂は進化していくのだが、現在の私は最新の私ということになる。生まれ変わった私は、現在の私を思い出し、現在の私が蘇る。ただ、言語的には思い出されずに、行為として思い出されるのである。生きている際に、どこまで頑張ったかで、転生する際の周期が決まると考えられている。頑張った人は、すぐに転生し、頑張らなかった人は、大いに待たされるのだ。
受験に合格するために頑張るとか、何らかの成功を得るために頑張るといったスケールの話ではない。人は、魂の進化のために、死ぬ瞬間まで頑張り続けなくてはならないのである。
そうなると、死んでも生き続けることとなり、そういう意味では完全な死は存在しない。墓碑に刻まれている「永遠の眠りにつく」や、世間の人がよく使う「一度きりの人生」という言葉は、あり得ないことになる。現在の自分とは、積み上げられてきた最新の自分なのだ。
私はクリスチャンなので、かなり混乱が生じているが、これは別物と割り切って考えるようにしている。
シュタイナーの教えが単なるファンタジーと言われないためには、学習者が「超能力」を身に付けた証を持つしかないのである。シュタイナー教育とは、単に人格的にバランスの取れた子供へと育て上げることではなく、「超能力」をも持ち合わせた魂の完成により近づいた子供へと育てることにあるのかもしれない。もの凄い可能性を秘めた子供たちである。
またもやぶっ飛んだ話をしてしまった。
次回からの記事は、「現場からの教育論」に切り替えようと思う。
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