ナイトスタンド・ブッディスト | 上田地優のオフィシャル・裏ブログ~TSUKUYOMI~

上田地優のオフィシャル・裏ブログ~TSUKUYOMI~

神社のこと、お寺のこと、スピリチュアルなこと、ときには、性のこと、などなど日々、感じたことを感じたままにつづります。

お寺さんって、法事だけの場ではありませんよね。

ほんらい、お寺とは、地域の学びの場であり、そして、さまざまなことで悩み苦しんでいる人たちの「人生の受け皿」なのです。

 

その機能はあるときまで、ふつうに機能していたのですが、いつの間にか、お寺さんは世襲制の家族経営の中小企業みたいになって、閉鎖的になり、駆け込み寺的な機能はほとんどなくなりました。返って、助けを求めたり、相談などを持ち込むと、迷惑がられてしまうようになってしまいました。

 

お寺が寂れていく、後継者がいないなどという話が聞こえてきます。わたしの曽祖父が住職を務めていた松江のあるお寺は、最盛期には檀家の数は300を超え、松江市内に借家を抱え、身体の不自由な人たちを小僧さんとして受け入れ、それなりに社会貢献していました。

 

お寺には本山・末寺というピラミッドがあります。戦後まもなく、わたしのお寺は京都にある本山から抜けて、独自の道を歩みます。京都の本山から来ていた祖父を追い返し、父が一人前になるまでの暫定の住職がそのまま乗っ取ってしまいました。

今、そのお寺に昔の面影はありません。檀家さんもかなり減ったと聞きます。

山門を竹箒で掃除する耳の不自由な小僧さんの姿もお寺を取り仕切る執事さんの姿も、今はありません。ただ、山門を入った境内にいまの住職の家族の使用する車が何台も置いてある、お墓さえなければ、ふつうのお家みたいです。

 

そんな、ふつうのお家みたいなところに行って、助けを求めたり、相談しようとは、なかなか思わないでしょう。そりゃ、お坊さんも食べていかないといけないし、子作りに励まないと、お寺を継がせることができない・・・、本来、お坊さんは、子作りに励めないのですけどね。そんなことをしているんじゃなくて、ストイックに修行しないといけないんですが・・・

 

お寺は住職さんたち家族の所有物ではありません。住職さんの家族が暮らす庫裏以外は、公の場です。だから、お寺さんには税金がかからないのです。でも、ふつうのお家と変わらなくて、開かれていないのであれば、国は法律を変えて、税金を取るべきですよね。

 

わたしは人生の途中で、性別が入れ替わっちゃったから、伝統的で保守的なお寺さんのシステムでは、尼僧さんにもなれない。だけど、それでよかったと思うんです。

 

形にこだわることなく、なにも尼僧さんの姿をすることなく、わたし自身が人生の苦しみを乗り越えて、幸せを追求するかたわら、いまのお寺さんが果たせなくなった機能、たとえば、社会的に弱い立場にある人たち、心の性と身体の性の不一致で悩む人たちが駆け込んできてくれるような存在でありたいと思っています。

 

お釈迦さまの教えを自分で学び、瞑想のやり方も自分で学び、ふつうに自分の活動をしながら、自分の生活のなかに取り入れていく、ナイトスタンド・ブッディスト。

 

お釈迦様の教えを実践していこうと思えば、見てくれのスタイルはどうあれ、そういうのが、わたしが理想と考える仏教者の姿なのです。