未来の保証もない63歳のおばさんは、ついに強行突破に出た。

 

どんな強行突破か。

好きなことして生きる!

 

何だそんなことか。

そんなセリフならどこにも転がっている。

しかしそれを真に受けてやるヤツは、実はそんなにいない。

 

その好きなことして生きるために、どっかで保険を確保したりする。

私もその口。

 

昔友達が言った。

「水の上はす~いす~いと軽やかに進みながら、水の下では必死で水をかく」

表向きは軽やかに見えるが、その下で多大な努力をするという名言。なかなか鋭いことを言う。

 

が。ここにきて、その水かきをやめることにした。

水、かかない!

努力、しない!(笑)

 

 

 

 

きっかけをくれたのはこの動画

30歳で自殺して、自分の体が抜けた後、宇宙の外まで行ったはいいけど、無性に帰りたくなって帰ってきたら、生まれた時からぜーんぶの体験を、まったく同じことを30年間再体験して帰ってきた人の話。

 

これを見てやっぱりそうなのか。。。と思った。

奇跡のコースは、「あなたの人生のシナリオはすでに書かれている」という。

 

そのことは頭ではわかっていても、ちったあ例外もあるだろうと思ってた。

あわよくば、最近のバカリズムが描いたドラマ「ブラッシュアップライフ」みたいに、

何度も生まれ変わるたびに徳を積んで、良い人生に変えていけるんちゃうか?とも。

 

それって、「つくしの人生」って書かれた一冊の本の中身を変えるようなもんだ。

書き直して、また印刷して、製本しなきゃいかんじゃないか。(いや、そーゆーこと?)

 

コースは、書き換えなどできないと言い放つ。書かれたものは書かれたまんまなのだ。

それがその動画ではっきりと教えてくれていた。

 

要するに、この世界でシナリオを書き換えるというのは、

この世界を実在させるのだ。

悪いことをいいことに変えてえ~、ちっとは楽に行きたいの~、という風に、

この世界があるものと信じていることを、さらに強化することになる。

 

 

そうはいっても自分が努力して仕事を勝ち取ったと思っているものが、

実はそういう脚本がすでに書かれていてそうなっただけだとしたら、

それを受け入れるのは相当勇気がいる。

でも反面、もう書かれているんだから、「らくち~ん」でもある。

 

その動画で重要だと思ったのは、

凄まじい人生のシナリオを自身で追体験しながら、

「まんざら、そう悪い人生でもなかったな。。」と思える彼である。

 

実はそれが本当のことなのではないだろうか。

きっと人生、引いて眺めたら、そういう視点になるのではないか。

それが真の自己から見た視点なのではないか。

愛おしく自分自身を見る目、それは周りの人々にも注がれるはずだ。

 

 

 

もうすでに書かれているなら、今これを書いていることも書かれているだろう。

 

ここにきて、「自分でなんとかしよう」という努力をやめた。

どうせ起こることは起こる。起こらないことはどーやっても起こらないのだ。

 

必死でお金稼ごうとうしても、さっぱり思ったようにはならなかった。

でも突然何かが起こったりした。そこに私の努力は皆無だった(笑)。

思い起こせば、「なんで?」という思い当たる出来事がいっぱいあったのだ。

 

だからここらで腹をくくることにする。

私というちっぽけな考えで必死でセコセコとあれやこれやを考えても、

せいぜいどっかで聞いたことのある物語の設定だ。

ちっこいちっこい鼻くそみたいな設定。

たとえその設定通りになっても、そう面白くはない。

 

だから「私はなんも知らない」「なんもできませーん」

「どうやって生きていけばいいのか、どうやって幸せになれるのか、さーっぱりわかりません。おしえてください!」

と、天に向かってお願いする。

 

そして今まで嫌なことが起こらないようにするため、

あれやこれや防衛したり守ったりしていたことをやめ始めた。

だって、どうせ決まっているんだもん。

 

そう思って日々過ごしていると、

なんだか楽しくなってきたのだった。

 

 

絵:「山笑ふ」