最近、ダンナが石を写し出した。

 

目の前の河原で拾ってきた石たちが家のそこら中にある。

石を写していると、心が静かなってくるというのである。

 

彼は被写体によって、自分の心が変化する面白さに気がついていた。

花には花の華やかさと楽しさが、枯れ木には枯れ木の美しさがあるが、

石はまったくの沈黙の中にいて、それが心地よいのだそうだ。

試しに私が持っているアンモナイトの化石を渡したら、

「これはうるさい」とのことであった(笑)。

 

私は毎晩窓を開けて夜の山を眺める時間を作るのだが、

興味本位でその中から一個の平べったい石を選び、両手で包んで目をつぶってじっとしていた。

 

すると心がどんどん静けさの中に入っていく。

心の中の声が消え、さらにその奥まで入ってくようだった。

面白くなった私は、枕の下にその石を入れて寝てみた。

眠りに入る前から心は静かなまま。朝も本当に静かなまま起きた。

 

あれから私はその石と共に寝る。

人はこうやってこの石に特別な思いを込めていくのだろうか。

 

でも私はその石が特別な石だとは思えない。

石は単に私に静けさを思い出させてくれたのだ。

心の静けさとはこういうものだと。

 

 

 

昨日は雪が降った。

いつも雪と聞くとソワソワする高知県人の私が、

なぜか心がソワソワしていなかった。

 

最近、どこかボワーンとしている。

 

今まで、世界は私に爪を立ててきた。ネコが爪を立てるように。

この世界は私が気を緩めると、とんでもない悪いことが起こる。

だから常に見張ってないといけないと思っていた。

この世界はとてつもなく私に悪さをする世界、罰を与える世界、

悲劇を与える世界、強烈にリアルな体験をさせてくる世界だった。

 

ボワーンは、その実感がないのだ。

今は爪を引っ込めて、ネコのもふもふの手で、もふもふ触られているような。

この世界にリアル感がなくなってきている。

 

 

この感じ。ちっちゃい時にあった。

何もかもがボワーンとしてて、あったかくて安心している感じ。

 

でもいきなり「なにしよらあ!」「なにしゆうがぞね!」

と、訳も分からないまま親に怒られて、そのボワーンの中でいられないことを知る。

そして必死にこの世界の中に入ろうとした。

 

そしてある日、この体の中にかっちり入ったのだ。

「あ。入った」と、入った瞬間を覚えている。

 

今、そこに入る前の私に戻っている。

(気がするw)

 

静かで、あったかくて、安心している。

 

 

 

 

絵:おしゃべり