厳しすぎて苦手だった母は
隣の町から嫁いできました





父とは
七つも歳が離れているのに
恋愛結婚のはずなのに

昔からすごい貫禄で
(ブログ読むことがありませんように笑)

※今は、歳と共に以前より穏やかです







受け取る側(私)
の問題もあったでしょうが




私は、それはそれは
大変厳しく育てて頂いたわけです真顔







その母は、
私が子供だった頃から

「ここは宝の山だ」

と、よく口にしていましたえー?







夏休みが近づくと
恒例行事の(嫌な)気配がします…




理科の自由研究と工作?
の準備がされ
(もちろん母が)






絶対、自分では考えない(面倒)
手の込んだ
力の入った
研究(しかも長期にわたる)
が、私の為に用意されるのでした叫び








山に住んでいるので
もともと自力で出かけることは
不可能なのですが

この課題に拘束される
夏休みも
大嫌いでした






ひまわり






身近な薬草を押花(本格的)にして
標本にしたり





草木をとってきて
絞り染め(本格的)をしたり





ちなみに
夏休み以外にも



登下校の林道で繭玉をとってきて
糸をとったり







紙すきをしたり






地元に残る昔話を人形劇にして
あちこちで公演する
グループに母が所属していた為

黒子でかり出されたり








厳しい母が大の苦手だったので
それらも全部
大嫌いだー!



と思っていましたムキーッ













人生というのは、
わからないものです






長期に渡り擦り込まれた
モノというのは
時が経っても、心身共に
覚えているものなのでしょうか

↑くちなしの実




↑お正月の栗きんとんの着色に
使いますが(私はやらない)
残りはそのまま






「宝の山」なのか
「何もない山」なのか






捉え方しだいで
無限の可能性が広がります虹








それは、経験から
子育ても同じかなと思います。





殺処分の対象となっている
動物達の命も同じだと
私は思います。







可能性を覗こうとすれば
必ず
時間がかかります









忍耐力もいるので
本気でやるには、覚悟も必要です










隠れた可能性を
「宝の山」キラキラと捉えるか



「うん、見なかったことにしよう!」もぐもぐ
とするのか
















母に擦り込まれた呪文と体験は
私の一生の財産です














アリガトウ











母がこのブログに
出会わないことを、強く強く願います

天使天使天使