「神様・・・どうかこの子の命を助けてやってください。その為ならなんでもします。辛いことにも耐えます。痛みも苦しみも代わりに背負います。だから、この子をどうか助けてあげてください・・・お願いします。神様!一生に一度のお願いです。どうか、この子の命を助けてやってください・・・」
久しぶりに子供のころの夢を見た。
飼っていた犬がある日、カハッ…カハッ…と苦しそうに咳込んで何日も止まらず、原因もわからないまま手術をするために入院させた晩、僕は夜も眠れずに神様にお願いした。泣きながら一晩中、布団の中で神様に「犬を助けて下さい」とお願いした。「その為なら病気を代わりに背負います」と誓った。「病気を僕にください」とお願いした。子供ながらに一生懸命に手を合わせて、心の中で手術をしてくれる病院の先生にも「どうぞ犬の命を助けてください」と祈り続けた。
でも結局、神様は僕のお願いを聞いてはくれなかったっけ・・・。
お前さんはあの時、犬の病気を肩代わりすると言ったな。それはその病気が治癒するものではなく、例え死に至らしめるものであってもか・・・?
きれいごとではなく、その病気を肩代わりすることで自分の命が奪われ、代わりに犬が寿命までの5,6年程度を生きられるものであってもか?犬の5,6年の延命のために、きれいごと抜きで本当に自らの命と引き換えにする覚悟があったのか?
忘れえているかも知れんが、お前さんはあの晩、心の中で“神”にこう言った、自分の命の5年分を犬に分けて、あと5年この子を生きさせてあげて下さいと・・・。若い人間の5年など、犬にとっては2,3か月かそこらの価値しかない。そもそも“5年分”などと期間を限定している自体、そこには条件が入っている証しなのだ。
しかし幼いお前さんは、もちろんそんなことは知らずに一生懸命だった。一点の偽りも汚れもなく、純真な心で神に祈っていた。その心は紛れもなく本物だった。しかし、お前さんの願いは聞き入れられることなく犬は死んだ・・・。
ちょっとここ(3次元)ではない次元の話をしてあげよう。ここよりもっと次元も意識のレベルも高い世界の話だ。
その世界では生ける万物が、命は「肉体を持つこと」だけではないことを知っている。だから互いが互いのために自らの肉体を犠牲にすることに何のためらいも感じていない。誰かが病気なら、自分の5年や10年ではなく、寿命のすべてを捧げて身代わりになる覚悟がある。そうして誰かが誰かのために無償で病気を肩代わりすれば、それを見た別の誰かが病気を肩代わりした者のためにまた病気を肩代わりする。するとまた別の誰かが、その者の病気を命と引き換えに肩代わりし、その無償の思いやりと優しさのリレーによって、その世界に生きる万物は永遠の命を紡ぐのだ。
つまり、死なないのだ。
かつては地球上でもそうだった。しかしどこかで誰かが一人、自らの命惜しさに条件を付けてしまった。そこから無償であった愛のサイクルは乱れ、命は永遠でなくなってしまった・・・。
永遠の命は個人個人がどんなに一人で頑張ったところで得られるものではない。すべての者が互いに「自らの命を捧げる」くらいの純粋な心で相手を思いやり、優しさのバトンを手渡さないと上手く回転(サイクル)しないのだ。それはもちろん人間の間だけの話ではない。その世界で生けるすべての命ある者たちが・・・だ。
この世界にも自らのバトンを手渡す覚悟のある者がいるだろう。しかしこれほど波動の荒くなってしまった3次元世界において、そのサイクルを回していくことはほぼ不可能と言えよう・・・。
けれど間近に迫っている「最後の審判」を各々が受けた後で、魂が次に生まれ変わる(転生する)先がここではなく、波動や意識の高い次元の層であるならば、そのサイクルの一部になることも可能なのだ。
あの晩、お前さんが犬の病気を肩代わりしたいと願ったが叶わなかった。それはお前さんの心が不純で条件が付いていたからではない。多分、今話した事実を知った後で時を戻し、あの晩に戻ったなら、お前さんはきっと犬の代わりに命を捧げる覚悟だってあるだろう・・・。
では、なぜあの時、お前さんの願いが叶わなかったか・・・
教えてやろう。
それはな、本当は病気になって死ぬはずだったお前さんの命を、先に犬が「ボクに肩代わりさせてください」と祈ったからなんだよ。
犬は次元の高い世界で、一足先にお前さんを待っておるよ・・・。