ノンモ、個人的にど~~~しても理解できない(っていうか、勝手に納得いかないだけなんですけど😅)システムがあるんです!!

 

それが何を隠そう「犯罪者を守る被告弁護士(Defense Lawyer)」なんです~!!!

 

いや、冤罪にならないように「罪を犯したと疑われている容疑者の権利を守る」弁護士の話じゃないんですよ!ノンモが納得いかないのは、明らかに殺人などの罪を犯した犯罪者を守るシステムのことなんです!!

 

日本においての裁判などの仕組みについては良くわからないのですが、アメリカだと誰の目から見ても罪を犯したのが100%(をぶっ超えて、もう1000%!!)明らかな犯罪者でも弁護士がついて、その弁護士が優秀で頭が働いて口達者(?)であれば、検察官サイドが言い負かされて、犯罪者が「減刑」どころか「無罪」になっちゃうことも多々あるんですよ~、マジで!!

 

あ、あと、ついでに言うなら『陪審員』のシステムもどうよ?🤔って思ってしまいます。日本では1943年に陪審制度が廃止されているようですが、例えばアメリカの場合、12人の陪審員が裁判の経過を見てきて、容疑者が有罪か無罪かを最終的に決定する役割なのですが、その12人全員が満場一致で意見が合わない場合は有罪にはならないので、例えば1000%確実に犯罪を犯したことが分かっていて、証拠もお腹いっぱいテンコ盛りなケースでも、その陪審員の中のたった一人が「いや、私は無罪に一票入れま~す✋」と言おうものなら、容疑者はNot Guilty(無罪)になっちゃうんです。中には、どんなに公平な目で判断するようにと言われていても「容疑者が私のタイプの男だから♡」とか「彼女(容疑者)が捕まっちゃうと彼女の子供たちが可哀そうだから」とか「オレは陪審員の中で唯一の黒人で、容疑者(黒人)を差別されたくないから」という個人的な理由(ヒイキ)で無罪に一票入れてしまうということもあるんだとか・・・😓

 

確かに事実として、今までに無実の罪で冤罪にされて、終身刑とか死刑にまでなっている人も本当にたくさんいるので、そう言った人たちを守るためのシステムは絶対にあるべきだと思いますし、それはもちろん超大賛成!!なのですが・・・でも、でも・・・ノンモの納得いかないのはソコじゃなくて、どんなに明らかに犯罪を犯した人でも、優秀な弁護士さえ付ければ有罪判決から免れることの出来るシステムがやっぱりど~~~しても意味わからないんですぅぅぅ😣

 

『まぁ、確かにそれは難しいところだよね・・・。例えば警察が「捜査をするのが面倒クサい」とか「さっさと事件を片付けちゃいたい」とか「警察署の面目のために“犯人”を捕まえたい」という場合に、その辺から“それっぽい”人を捉えてきて、拷問をかけて(やってもいない罪を)白状させて一件落着させちゃうケースも数え切れない程あったからね。ま、今はそういったことも取調室に監視カメラが付いたりして少し減ったみたいだけど。

 

そんな理由から、容疑者に対する弁護人は絶対に不可欠なんだけど、困るのはそのシステムを利用して(逆手にとって)どんどん罪から逃れていく金持ちや権力者、著名人、また政治家たちがいることだよね。彼らは裏で優秀な弁護士たちとがっちりタッグを組んでる上、お金に糸目をつけずに超優秀なベスト・オブ・ベストの弁護士を何人も雇うことが出来るから、大抵の場合において罪を免れられる。

 

実は(近世においての)この「容疑者に弁護士をつける」システムは、そもそも富豪たちが定めた制度なんだよ。表向きは「無実の罪で裁かれる人を出さないように」という名目だけど、本当は自分たちが裏で行っている“バレるとやばい行動”が表沙汰になった時に、罪に問われないように予め用意した「作戦」でもあるんだ。もちろん弁護士という職業自体は紀元前からあったし、そのおかげで冤罪にならずに済んだ人もたくさんいるから必要不可欠ではあるんだけど、その「必要不可欠」を理由にして、富豪たちや権力者たち、政治家たちが自らの都合のいいようにシステムを定めていったのが現在における法律だったり裁判の制度だったりするんだ。

 

アメリカには『ミランダ警告(Miranda Rights/Miranda Warning)』というのがあるよね。

 

①「あなたには黙秘権がある」②「あなたの供述は法廷であなたに不利な証拠として用いられる場合がある」③「あなたは弁護士の立ち合いを求める権利がある」④「もし自分で弁護士に依頼する経済力がなければ、質問に先立って公選弁護人を付けてもらう権利がある」更には「あなたはいつでもこの権利を用いることができ、質問に答えず、また供述をしないことができる」や「あなたはこの取調べをいつでも打ち切る権利がある」

 

と、拘束下にある被疑者に取り調べを行う際に、以上の事項を告知しなければならいという規則のこと。

 

確かにそれによって、後で「被害者があの時にこう言った」とか「被害者はこう返事した」と足元をすくわれて、必要以上に不利な立場に落とされたり、身に覚えのない罪を着せられずに済むようになった・・・けど、それと同時に1000%確実に罪を犯して証拠もテンコ盛りな容疑者でも「何も言わずに黙っててオッケー👌あとは弁護士に任せればいい👍」という権利を持てるようになり、そこから先は容疑者が何を訊かれても「Pleading the 5th Amendment (憲法修正第5条を嘆願しま~す♡)」とだけ言ってだんまりを貫き通し、優秀な弁護士を雇って検察官と戦わせればよくなってしまった。だから、どんな犯罪を犯しても噓八百の供述だけを並べたり、尋問に対しても知らぬ存ぜぬで「わたしはやっておりましぇ~ん🤷」と白を切ることがまかり通る世の中になってしまった。現在もアメリカで某政治家が裁判沙汰になっていて、まさに上で言っている通りのことをやってるでしょ?(←このブログを書いている真っ最中に判決が下ったみたいですが😆)

 

“Do you swear to tell the truth, the whole truth, and nothing but the truth, so help you God?”(あなたは真実を…全ての真実を…そして真実以外の何ものでもないことを話すと誓いますか?)

 

という法廷での質問に対して、宣誓の下(Under Oath)で手を挙げて、神に対しても「Yes, I do✋」と誓ってるにも関わらず・・・ね。

 

神はそんな全てをちゃんと見ているのにね・・・。

 

例え、彼らの作った法律のシステムでそれがまかり通って“無罪”になり、世間の目を誤魔化せたつもりでいても、神を騙すことはできないし、自分自身も騙せない。自分は自分が嘘をついていることをちゃんと分かっているし、それこそ“白”を切ったところで、自分の心臓は“黒”く重た~くなっていくんだよ。

 

ちょっと前に、魂は生前の重たい念が付いていると、死後に成仏できずに3次元に留まってしまうって話をしたよね?そして輪廻転生のステップを踏まずに(次の赤ちゃんを見つけて入り込んで)生まれ変わってきてしまう。ま、それも言ってみたら一つの「転生」ではあるんだけど、ただ成仏してから輪廻転生する(一旦すべてをリセットしてから生まれ変わる)のとは違うから、3次元での時間軸(過去→現在→未来の一方通行の時間の流れ)から出ることが出来ずに、生前の念を抱えたまま殆ど休む間もなく“生まれ変わり”を繰り返す。だから赤ちゃんが成長した時に、その人生では身に覚えのないイシュー(嫉妬とか怒りとか不安とか)を抱えていたりする。言ってみたら「前世の“課題”の持ち越し」だよね。

 

でも、今話した「重たい念」とは違ったところで、人間はね、ウソをつくと自分の心臓(っていうか魂自体)がどんどん黒ずんで重たくなっていくんだよ。イメージ的には「身体に良くないファットの多いものをモシャモシャ食べ続けているうちに、脂肪がついて太っていく」のと似てるよね。とは言え、ウソにも幾つもの類があって、例えば『ミカリ』のようなホワイトライはウソのうちには入らない。だけど前述したような「人を騙す」とか「自分の都合を良くするため」とか「他人を陥れる」とか「罪から逃れるため」につくウソの場合には、心臓は黒ずんで重たくなっていくんだ。そして、そのウソが大きければ大きいほど、それに比例するように心臓の“太り具合”も加速していくんだよ。

 

これは決して「嘘をつくことで、それを見抜いている神が死後に罰を与える」といった話じゃない。また「自責の念によって“地獄”に落ちてしまう」ということでもない。

 

そうじゃなくて、もう目前まで迫ってきている最後の審判(次元の層の修復)の時に、心臓が重たいと下層次元(心臓が重たい者たちだけが転生する次元)に落ちたまま閉じ込められてしまうんだよ。前にも話したけど、かつては8つの層に分かれていた次元が、“あること”が地上で起こったために全ての層が崩壊し、8つの次元で別々に暮らしていた低次から高次に至るまで全ての魂がこの3次元世界に集まって共存する結果になってしまった・・・。だから今の地上には、ありとあらゆるレベルの魂を持つ人間が入り交じり、更には魂(心)を持たない人間までがいっしょになって現在社会で暮らしている。

①が一番波動や意識レベルが高く、⑧が一番低い。上の層へ行けば行くほど次元が上昇し、魂の存在する数(その次元で暮らしている人の数)は少ない。今はこの8つのレイヤーがなくなって一色になってしまった。

 

そして3次元という世界ではね、ピラミッドが逆さまな状態になっているんだよ。つまり低次元にいた魂を持つ人間の数の方が圧倒的に多く、一番上にいた高次の意識を持つ人たちがその重みで押しつぶされて消滅しそうになっているんだ。

 

でもね、その崩壊していた8つの層が、もうじき修復の時を迎えようとしているんだよ。そのための“最後の審判”がもう目の前まで迫ってきている。そして正真正銘、本当にこれが最後なんだよ・・・。この”修復の時(最後の審判)”は神が起こすんじゃない。とはいえ偶然に起こることでもない。長~い説明抜きで一つの言葉にするとウサン臭く聞こえちゃうから、ま、それについては6月の半ばに予定しているセミナーの時にキミに詳しく話してもらうけど、とりあえず今は”地球外生命体”とだけ言っておくよ。その地球外生命体によって地上の次元の層が修復されて、再びそれぞれの次元に分かれた時に、同じ重さの魂を持つもの同士が同じ波動の層でべつべつに暮らしていくことになる。だからその時が来て、少しでも波動の高いの層で目覚めるためには、今からでも心臓のダイエットをしておかないといけないんだ。

 

 

ちなみに「自分の生前の念が魂にしがみ付いて、重たくて成仏できない」のは、「魂に“黒い脂肪”がついて重たくなっている」のとは類が違う。例えれば「表面に汚れが付いている」のか「そのもの自体が黒ずんで重たくなっているか」だね。もちろん前者の方の“しがみ付いている念”を解放して、魂を軽くしてあげることも大切なんだけど、それ以上に“ウソによって太っていく”心臓を軽くする方が今はもっとCritical(緊要)なんだ。

 

だから「懺悔しろ」って言ってるわけじゃないんだよ?そうじゃないけど、もし自分でだれかを騙したり、利用したり、陥れたり、または辱めを受けたくないとか、プライドを守るためとか、罪から逃れるためとか、自分の利益のためとか、多分バレてるだろうけど証拠がないから白を貫き通すとか、自分の立場を守るためとかの理由でウソをついたことを認識しているなら、少なくとも自分自身の心にはそのウソを認めなきゃいけない。そして可能であるなら、上記のような理由でウソをついたり、騙したり、イヤな思いをさせた相手に(謝らなくてもいいから)正直に告白することで心臓はさらに軽くなっていく。

 

 

例の某政治家だって、公衆の面前で(法による判決が下った後でも)尚も責任を他の誰かに押し付けようとしないで、頑なに隠し通そうとするウソや罪を正直に認めることができれば、少なくとも今生を終えたときに一番波動の低い魂たちが集まる最下次元の層で目覚めることもないだろうにね。

 

人生は長そうに見えて短い・・・これから続く魂の長い長い旅に比べたら、今の人生なんてほんの一瞬の瞬き程度だよ。そんな「次に目を開けたら覚める」ような短い人生のなかで、エゴやプライドを捨てて一瞬の恥をかくことくらい、その後につづく魂の旅を自由に明るく、快適に進んで行けることを思えば、なんてことないハズなのにね・・・。でも、彼らにはきっとこの短い人生で見栄や権威やステータスにしがみ付くことの方がずっと大切だから、これからも自らのウソや罪を認めることはないだろうね。そして公衆に自分の”潔白”を断固として訴え続け、自分にも、他人にも、神にも偽り続けていくんだろうね・・・。

 

ちなみにね、人間は他人を騙したり、陥れたり、自分の立場を良くするためとか、罪から逃れるためにウソをついてきたことを自分自身の心にきちんと認め、今後はそうしないように心掛けて心臓を軽くし、同時に、魂にしがみ付いている念も解放することが出来ると、生きながらにして(死なずして)自分の魂が成仏するという究極で至上の経験ができるんだよ。

 

以前にちょっと言ったかも知れないけど、人は(というか、特に現代日本人は)多くが平均して、不平や不満、文句、嘆き、愚痴なんかを言葉に発して人生の8割近くを過ごしちゃってる。だから自分に対しても、他人に対しても、褒めたり良いことを言ってあげるのはほんの2割程度・・・これは「しがみ付いた重たい念を手放す」と言った視点から見ると実は大問題なんだ。

 

だから本当はネガティブなことを思ったり、それを言葉に発する割合をグンと減らして、逆にポジティブな部分を(自分に対しても、他人に対しても、物事に対しても)意識的に見つけて、ポジティブな言葉を口に出していけるようになることが大切なんだよ。日常の中で今まで8割を占めていた不平、不満、文句、嘆き、愚痴なんかの割合が逆転して、楽しいこと、好きなこと、嬉しいこと、感謝できること、恵まれている部分、良かったと思う部分、誇りに感じる部分が8割を占めるようになると、しがみ付いていた念はみるみる剥がれていって、尚且つ(神がすべてを見抜いていることを承知の上で)自分にも他人にもウソをつかない自分を確立させると、魂が生きながらにして成仏するんだ。

 

とは言え、もちろん何でもかんでも正直になれば良いってものでもない。例えば、相手を無意味に傷つけたり、悲しめたり、苦しめたり、辱めを受けさせたり、イやな思いをさせるのを分かっていて、敢えて”正直”という言葉のナイフで相手の心を突き刺すのは逆効果になってしまう。だからそういう場合はむしろミカリでホワイトライ(優しいウソ)をついてあげるのも思いやりのうちなんだよ。

 

英語の「LOVE」という言葉には、日本語での「愛」という解釈以外に、何十通りもの意味が含まれている。「LOVE」の中には家族に対する愛や、恋人に対する愛、友達に対する愛、ペットに対する愛、自分のやっている行動に対する愛、自分の趣味に対する愛、自然に対する愛、誰かに会いたいなと思う気持ちに対する愛など、本当に数えきれないくらいのバージョンがあって、

 

I love my family (mother, father, brother, sister, etc)

I love 〇〇(恋人)

I love △△(友達)

I love my pets

I love eating and sleeping

I love taking pictures

I love nature

I love being alone

 

という風に、日常の中でとても幅広く使われている。でも、もしこれを、

 

わたしは家族(お母さん、お父さん、兄弟、姉妹)を愛してます。

わたしは〇〇(恋人)を愛してます。

わたしは△△(友達)を愛してます。

わたしはペットを愛してます。

わたしは食べることや寝ることを愛してます。

わたしは写真を撮ることを愛してます。

わたしは自然を愛してます。

わたしは一人でいることを愛しています。

 

と日本語の「愛」で訳すと、かなり不自然なものもあるでしょ?またアメリカだと友達や家族に面と向かって「I love you」というのはごく日常的だけど、それを日本で友達や家族に「あなたを愛してます」なんて、なかなか言えないよね?

 

何が言いたいのかというと「LOVE」の訳が「愛」だけではないように、「ウソ」と一言でいっても、それは全てが同じ意味で同じ類ではないってことなんだよ。「ウソ」にだって何十通りものグラデーションがあって、真っ黒なウソから、嵐の空のような暗い灰色のウソ、雨雲のようなグレーのウソ、うっすら曇り空のような淡いグレー掛かったウソ、ほのかに濁ったウソ、白い(良い)ウソまである。そして、その「黒さ」の加減によって心臓の太り具合も異なってくる。ま、どのウソがどのグラデーションに当たるのかを一つ一つ書いて行くことは出来ないから、時間があればそれもセミナーの時に話せばいいけど、今一つだけ言っておけるのは、自己の中だけで完結する(他人を巻き込まない)ウソよりも、他人を騙したり、傷つけたり、利用したり、それによって自分のエゴや富や権力なんかを肥やすウソは心臓をブクブクと太らせていくよね。

 

 

もちろん、最後の審判の時に”地球外生命体”がそれぞれの魂をチェックするのは、念のこびり付き具合や生前についたウソによる心臓の重さだけではなくて、暴力や犯罪(どれだけ他人を巻き込んで傷つけたり悪いことをしてきたか)による心臓の腐り具合や、イジメや悪口、陰口、仲間外れなどの意地悪な行いによる心臓のカビの生え具合にもよるんだけど、さっきも言ったようにそれらの行いに対してどれだけ言い訳をして自分を正当化しようが、心臓は正直に黒ずんで重くなり、腐り、カビが生えていく・・・。もちろん「太る」も「腐る」も「カビが生える」も分かりやすくイメージするための比喩だけど、でも”地球外生命体”は死後に1ミリ単位で細かく生前の行いを見せつけてきて、そして最終的な審判で「①から⑧のどの層の次元に転生させるか」を決めてくるんだよ。

 

多かれ少なかれエゴを持つ人間として生まれている以上、どの分野の業においても一点の汚れもない”羽根よりも軽い真っ白な心臓”で死後を迎えるなんて非現実的なことは、神も、地球外生命体も期待していない(というかそんな完璧な魂だったら、そもそも人間として生まれてない)・・・だからそんな完全無欠な心の人間を目指す必要はないけど、少なくとも今まで(周囲を巻き込んで)ついてきた嘘や行ってきた罪をちゃんと自分の心に認めて、今後は極力そうしないように心掛けていくことがこれからは本当に大切なんだよ・・・。

 

ちなみに下の画像は「自分の心と向き合う」ための写真なんだ。

 



この写真を開いて画像の風景を見つめたまま、今まで自分がついてきた嘘や犯してきた罪、意地悪な行いを自分の心にきちんと認めてごらん。とは言え、人生を通してその一つ一つを細かく思い出すことなんて不可能だから、自分なりに現時点での自分の心臓の”重さや黒ずみ加減、腐り具合、カビの生え具合”をイメージして、まずはそれを受け止め(認め)て、自分自身の心臓に「こんなにしちゃってゴメンね」と言ってあげてごらん。きっと心臓は少しずつでも軽くなっていってくれるから・・・』