『ねぇ、恋をして胸がキュンっとしたことってあるでしょ?』

 

「え・・・な、なに唐突に?・・・うん、まぁでも、あるよ♡ノンモがまだ幼気で多感な少女(?)だった頃・・・もう前世くらい懐かしい昔の話だけどね。なんで?その時のこと聞きたいの?😘」

 

『いや、別に聞きたくないし、その時(多感な少女というよりは、もう感情が乱れきって手が付けられない、見てるのも恥ずかしい醜態を晒してた頃ね)をずっと見てきたから分かってるよ。っていうか、そういう話じゃなくて・・・じゃあさ、家族に対して胸がキュンとしたことは?』

 

「家族・・・?あるワケないじゃん!ってか、家族に対して恋愛対象と同じキュンを感じてたらヤバい、っつーか怖いでしょ?」

 

『どうして?だって同じ“愛”なんでしょ?』

 

「そ、そうだけどさ・・・でも、恋愛対象の愛と家族に対する愛はやっぱりジャンルが違うよ」

 

『それじゃ訊くけど、なにがどう違う?』

 

「え・・・ど、どうって・・・恋愛対象の愛はもっとなんかこう激しい感じで、家族に対するものはもっとこう大きくて無条件で・・・かな?」

 

『ま、口ではみんなそんな感じのことを言うよね。でも本当にその違いが分かってるのかって言ったら、実はそうでもない人が多いんだよ。それじゃちょいと目を閉じて、セルフヒプノで時間を退行して、恋愛対象だったかつての相手に“愛”を感じていた時を再体験してごらん』

 

「えぇ~💦なんかあの頃を思い出すのはちょっと怖い気もする(恋愛で傷ついたりした記憶を振り返るのが怖いんじゃなくて、かなりイタイ人間だった自分を思い出すのが怖い😅・・・)けど、オッケー!やってみるよ」

 

10分経過。

 

『どうだった?』

 

「いや~、もう今となっては”恥ずかしい”なんて一言では済まないくらい感情に振り回されちゃってて、穴があったら埋めたい(「入りたい」じゃない😆)自分がいたけど・・・でも“愛”を感じてた時は、確かに胸の奥でキュンっとしてたね。もっと正確に言うと心臓のある胸の左側の方かな・・・?」

 

『いや、心臓は左側なんかにはないよ』

 

「え・・・?そうなの?胸の左にあるんじゃないの??」

 

『心臓はね、胸の真ん中にあるんだよ。多くの人が「左にある」って思いこんでるみたいだけどね。その理由はたぶん、心臓の形の関係でドキドキを感じるのが左側だからなのかも知れないけど・・・ま、あとはやっぱり恋なんかをしてキュンっと感じるのが大抵の場合において左側だから、そういう都市伝説が出来ちゃったのかも知れないね』

 

「と、都市伝説・・・?ではない気がするけど😅・・・しかし心臓が左側じゃなくて、胸の真ん中にあるなんて知らなかった~!でも確かに恋をしてた頃を再体験したら、胸の奥の左側がズッキュ~~~ン💘としたね!ナツカシイ・・・♡」

 

 

『いや、イメージを使って説明してくれるのは有難いんだけどさ・・・どうせならもうちょい違う画像にしたら?ま、そしたら、じゃ今度は家族に対する“愛”をセルフヒプノで体験してみてごらんよ』

 

「家族・・・?うん、オッケー👌やってみる」

 

10分経過。

 

『どう?愛を感じた?』

 

「確かに感じたし、それは紛れもない“愛”だったけど・・・でもやっぱり胸の奥でキュンとはならなかった・・・。“キュン”ではないんだけど、でもちょっと似たような(言葉では表現し辛い)なんだかポカポカ~と暖か~い感覚を胸の上全体で感じた気がする。あ、あと、耳の裏の辺りが“喜びで引っ張られる”ような(?)感じがしたかも知れない・・・って、意味わからないよね?😅」

 

『いや、わかるよ。犬が嬉しいときや甘えているときにシッポを振りながら耳を後ろに倒す、あんな感じでしょ?』

 

「あっ、そうそう!まさにそんな感じ!!・・・でも不思議だね、同じ“愛”って言葉なのに、恋愛対象と家族に対する愛では、まったく感じ方とか感じる場所(位置?)が異なるんだねェ」

 

『ま、それは「恋と愛の違い」と言っちゃえばその通りなんだけど、それ以上に、愛という言葉の中にも本当はたくさんのバージョンの感情が含まれていて、そのすべてをたった一つの小さな単語でまとめてしまおうとするから、時として勘違いが生じたり、無理があったり、うまく育んでいくことが出来なかったりするんだよ・・・。

 

前にも言ったけど、それは英語の「LOVE」も同じで、英語の「LOVE」の中には家族に対する愛や、恋人に対する愛、友達に対する愛、ペットに対する愛、自分のやっている行動に対する愛、自分の所有物に対する愛、趣味に対する愛、自然(ネイチャー)に対する愛、神々に対する愛など、それこそありとあらゆるバージョンの感情が「LOVE」という言葉で表現されている。だけど実は、どの「LOVE」も体で感じている箇所は異なるんだよ。もう分かっていると思うけど、神の世界には言語は存在しない。だから人がそれらの全てを「愛/LOVE」という言葉で一括りにしても、神にはまったく異なる別々の類のエネルギーとして、体のそれぞれの部位で見えているんだ。

 

 

そして同様に「恐怖」もそうなんだよ。恐怖という言葉は、幽霊なんかに対してや災害に対して、犯罪に対して、先の見えない未来に対して、どうなっていくのはわからない社会や世の中に対して、𠮟りつけてくる上司や親に対して、自分が失敗したらどうしようと思う時、嫌われたらどうしようと思う時、事故が起こったらどうしようと思う時など、それこそ色々な場面において「恐怖(怖い)」という言葉が用いられる・・・だけど、どれも実際には種類もエネルギーも違うし、それこそ感じている体の位置も違うんだ。

 

恐怖と一言で言っても、その中には怖気もあれば、不安や心配なんかもある。特に後者の2つに関しては、どちらも似ているようでいて全く異なるエネルギーであり、「不安」も「心配」も(それ以上の適切な言葉が存在しないだけで)実はさらに細かく別々の感情に枝分かれしている。つまり未来に対してとか、社会に対してとか、上司や親が𠮟りつけてくることに対して、人前に出ることに対して、自分の失敗に対して、嫌われることに対して、失望されることに対して、悪いこと(事故や事件や災害など)が起こったらどうしようと思うことに対して, etc, etc...「心配」とか「不安」(=怖い)と表現することが多いけど、全てバラバラの体の部位で人はそれぞれを感じているんだよ』

 

・・・ということで、それら一つ一つをセルフヒプノで体験させられた30分後。

 

「いや~(疲れた・・・😓)けどホントだ・・・!同じ「不安」や「心配」でも、例えば、

 

●先の見えない未来に対して→お腹(というか”みぞおち”?)の辺りで重た~いもの

●どうなるのか分からない社会や世の中に対して→額の左右(真ん中ではない)で締め付けてくるようなもの

●親や上司のような存在に叱られたり注意される場合→肩や首の後ろから重たい圧力で押さえつけられて委縮していく感覚

●人前に出ることに対して→胸の奥から何かが込み上げてきて喉が詰まる感覚

●自分の失敗に対して→胸の底に穴があいて空気が抜けて体がしぼんでいく感覚。また足に疲労を感じて力が入らない

●嫌われたり失望される場合→肩の上辺りで重たくて黒っぽいもの

●悪いことが起きたらどうしようと懸念した時→胸の両サイド(心臓とか胸の真ん中ではない)で何だか落ち着かないザワザワして息切れしていく感覚

 

 

をそれぞれ感じた気がする・・・(疲れたけど😅)」

 

『そうなんだよ。ま、キミが30分のセルフヒプノで即席で体験した感覚がすべて万人に当てはまるとは言わないけど、とにかくそんな感じで、例え同じ「恐怖」という言葉を使っても、全くエネルギーの種類も感じている体の位置も違うってことなんだ。

 

だから何が言いたいのかというと、それら(別々の体の部位で感じている全く異なるエネルギー)をすべて”負の感情”とか”負のエネルギー”なんて一般的な言葉で一括りにして、全部同じ手段で癒そうとしても「それはちょ~っとできない相談ね~」ってこと。

 

それは心理面でのカウンセリングやサイコセラピーにしても、スピリチュアル面でのエネルギー浄化や調整にしても同じ。だって例えばアレルギーだって、食物アレルギーや皮膚アレルギー、季節性アレルギー、ペットアレルギー、薬によるアレルギー、ダニやハウスダストアレルギー、虫さされアレルギーなんて色々な種類があって、それらに対して同じ1種類の「アレルギー薬」を飲んだって全ての症状が改善される訳ではないでしょ?』

 

 

(なんかさっき、さらっと明菜ちゃんが出てきた気がするけど)あぁ、だから前に中華料理の食べ放題で生ガキを食べて全身に赤い湿疹ができた時、クラリチンを飲んだけど利かなかったのか・・・!!」

 

『そりゃそうでしょ。だってクラリチンは季節性のアレルギー用の薬なのに、食物(というか甲殻類)アレルギーの症状で飲んだって効果が出るワケないんだよ。ま、そんな感じで、まずは自分がどんな類の「恐怖」を体のどの部分で感じているかをキチンと認識することで、適切な“癒しの施し”が出来るようになる。ちなみにそれは「恐怖」に対してだけでなく「悲しみ」や「怒り」に対しても同じ。特に「怒り」なんて、それこそ本当~にたくさん感情が枝分かれしているからね・・・。



ま、それでも「恐怖」や「悲しみ」と違う点は、「怒り」の場合は木の幹(怒りの根源)となる部分がある。それが眉間と第三の目の真ん中なんだよ。そこに怒りのエネルギーが入り込んできてアクティベートされると、もう目の前が真っ白になったり、頭がカッカして熱くなったり、時には頭痛がしたり・・・そうすると頭や掌に汗がにじみ出てきて手や体が震えだす。そうなると一度“火のついた”怒りのエネルギーをなかなか鎮火できない。

 

とにかく「負の感情(ネガティブ・エモーション)」は、“エモーション”という言葉を使っているけど全てを胸の内で感じているとは限らない。それは背中かも知れないし、肩かも知れないし、首かも知れないし、喉かも知れないし、胸の上方かも知れないし、お腹かも知れないし、頭かも知れないし・・・ともすれば体の外側で感じていることだってあるんだ。

 

それらを一つ一つ分析して、何をどこで感じているのかを認識して(心理的にもスピリチュアル的にも)一つ一つ癒していくのが本当はベストなんだ・・・。だけど、その方法を今ボクがキミに伝えて文章で書いていったら、多分100ページじゃ済まなくなっちゃうから、まぁそれに関してはまた口頭(セミナーとか個人セッションとか)で詳しく説明する機会を作ればいいよ・・・。

 

だけど今一つだけ言えることは、一般的に“負の感情”と呼ばれているもの(恐怖や不安、心配、悲しみ、嫌悪、怒り、嫉妬、恨みなどなど…)は人体を左回りに回転しているんだ。これに関しては瞑想やセルフヒプノをしてみてもなかなか感じるのは難しいかも知れない・・・。でも、実際に負の感情のエネルギーは(スピードはまちまちながらも)人体の中で左向きに回転している。



だからそれらの感情を感じた時には、ちょっとした応急処置として、落ち着いた場所で少し目を閉じて、自分の体内で竜巻のような黒い渦巻状のものが(第7チャクラから第1チャクラにかけて)左回りに回転している想像をして、



そこに今後は右回転している白い光の渦をイメージして入り込ませ、黒い渦巻に重なり合わせて、ポジティブな光によって負の感情が”中和”されて自分の中で消えていく想像をしてみるといい。



黒い渦巻の威力が強くて一回じゃ消えてくれなければ、白い光の竜巻を何度でも何度でも(黒い渦が消えるまで)ぶつけてみればいい。“応急処置”と言ったけど、もしかするとそれで完全に負の感情が解消されることだってあるからね』

 

ということで実際にノンモ、試しにちょこっとやってみた結果・・・

 

「うわわっ・・・マジで消えた・・・😮!!っていうか、ちょっと前まで感じていた恐怖とか不安とか心配とか、嫌悪や嫉妬や妬みも、なんか一気にどーでも良くなるね!!つーか、それを感じていたさっきまでの自分が“ちっせー人間”に思えてきて、なんか笑えてくるww」

 

『でしょ?ま、ただ「怒り💢」のエネルギーに関しては(色も“黒”というより“赤”だし)かなりパワフルでしつこいから、そんな容易には行かず、それこそ何度も根気よく繰り返す必要があるかも知れないけどね。だから怒りのエネルギーに対抗するには、実は右回りの白い光というよりは(「火には水」ってことで)右回りの水の渦巻をイメージして中和させるといい。

 

 

ところで人間って「幸せ」を体のどこで感じているか知ってる?』

 

「幸せ?・・・う~ん、どこだろう?頭・・・ではなさそうだし、お腹・・・でもないよね?肩とか首とか喉では勿論ないし、下半身・・・だったら笑えるけど、やっぱり胸なのかな・・・?」

 

『ま、勿論それは“幸せ”の定義にもよるから、個人個人で枝分かれするかも知れないけど、でも”幸せ”にも実は根本(木の幹)となる場所があるんだ・・・それが羽根なんだよ』

 

「は・・・?羽根・・・??羽根って、翼の羽根?」

 

『そう。翼の羽根だよ。3次元では見えなくなってしまったし、もう羽根の存在を感じなくなっているけどね。でも人間は背中の2つの羽根の部分にすべての幸せのエネルギーが集まるようになってるんだ・・・本来はね。だから目を閉じて、幸せだった時をちょっと思い出しながら(もしくは自分なりの幸せを想像しながら)その時に感じる喜びやわくわくする感覚、満たされた気持ちなんかを光のエネルギーとして背中の羽根に送ってごらん。そしてその光のエネルギーで満ちた羽根を広げてごらん。

 

 

人間としてずっと長い間、忘れていた感覚を思い出すかも知れないよ・・・』