2024年4月8日・・・。

 

昨日までの静けさとは打って変わって、プラッツバーグには多くの人たちが集っていた。強い風が吹き、シャンプレーン湖も水面でさざ波がザァザァと音を響かせていた。

 

薄っすら雲掛かった空にはハロが浮かんでいた。

 

そのずっとずっと向こうでは、もうじき一つに重なる太陽と月に向かって、12P/Pons-Brooks(龍の母:Mother of Dragons)が尾を引きながら刻一刻と近づいていく。その様子を傍で木星や水星たちが見守っている。

 

 

誰も気付いていない・・・すでにシフトが始まっていることを。

 

人間以外の全てが準備を始めている。木々や草花、鳥たち、昆虫たち、土、岩々、そしてシャンプレーン湖の淡水が言葉なく会話をしている。

 

現し世と夜の食国の狭間で、なぜだか涙がこぼれそうになる。

 

鼓動が高鳴る。この胸の内を誰も知らない。でもハロは分かっている。ただ、何も言わずに空からこちらをじっと見ている。まるでボクの心の準備を確かめているかのように。

 

 

ボクもハロを見上げる。

 

少し、ハロが薄れる。

 

人々は望遠鏡やカメラを持って、午前中よりもその数を増している。向こうでは地元のバンドがPink Floydの『Eclipse/狂気日食』を演奏している。

 

人間で賑わう現し世の裏側で、夜の食国はその瞬間に息を潜めている。龍の母が、今にも開かれそうな扉(日食)に向かってどんどんと迫っていく。

 

「こんなにも地上で一人ぼっちを感じたのは初めてかも知れない・・・」

 

ボクはシャンプレーン湖を眺め、寄せては返してゆくさざ波を足元に感じながら、人々で溢れる砂浜に佇み、心の中で呟いた。

 

 

そして、”その時”が始まる・・・。

 

2時14分、ハロの真ん中で太陽と月が重なりはじめる。現し世と夜の食国を隔てていた扉のノブが静かに回されるのを感じる。

 

 

2時20分、扉がゆっくりと開いて、太陽が欠け始める。

 

 

2時28分、さっきよりも大きな音でバンドが観衆を盛り上げている。人々はバンドの演奏に合わせて楽しく踊り、歌い、にぎやかに笑い合っている。

 

 

2時35分、風が強くなって、葉のない木々が揺れている。

 

 

2時42分、シャンプレーン湖の波がさらに高くなる。けれど人々の声に消されてさざ波はもう聞こえない。

 

 

2時50分、扉が半分開き、辺りが微かに薄暗くなっていく。ハロが空からじっとこちらを見ている。

 

 

 

3時9分、肉眼では分からないけれど、フィルターの向こうでは、太陽の三日月がぽっかり浮かんでいる・・・

 

 

3時18分、バンドが演奏をやめて、“その瞬間”に備えている。人々は皆、日食用メガネをかけたり、カメラを構えて空を見上げ、息を吞んでいる。

 

 

3時24分、月が太陽をほぼ覆い、辺りの気温が一気に下がる。人々があちらこちらで既に歓喜の声を上げ始めている。

 

 

ハロが「準備はいいか?」とボクに訊く。

 

ボクはハロに頷く。

 

2024年4月8日3時25分・・・

 

時間が止まる。

 

 

夜の食国の扉が開いて世界が暗闇に包まれ、音が消える。静けさの中で鳥たちが囀り、虫たちが一斉に鳴き始める。あちらこちらで犬が吠えている。人間の声が聞こえない・・・シャンプレーン湖のさざ波が止み、鏡のように静まっている。

 

なんて・・・なんて神聖な空間なんだろう・・・

 

ここには“時間”がない。

 

ボクは『今という瞬間』の中にいるんだ。ここは永遠なんだ・・・。

 

そして見える。扉の向こう側に神々が見える。ちゃんとボクには見えている・・・。誰にも知られなくたって、誰にも分かってもらえなくたって、例え、誰にも信じてもらえなくたって、今、目の前には神々の姿が見えている。

 

「そうか・・・そういうことだったのか・・・」

 

そうです。わかりましたか?

 

決して難しいことではないのです。

 

だからシンプルに生きなさい。シンプルさの中にある愛をもう一度、見つけなさい。シンプルに手を繋ぎなさい。花を抱える時に恥ずかしさを感じないのと同じように、人の心もシンプルに抱きしめなさい。動物を見つめる時にその心の裏を読もうとしないように、もっとシンプルに人の目を見なさい。美しい景色を見た時になんの躊躇もなく美しいと言えるように、もっとシンプルに人を褒めなさい。自分を褒めてあげなさい。

 

人間は言葉を持ちます。言葉を持つ人間として、言葉を大切にしなさい。一つ一つ丁寧に使いなさい。表面ではなく、心から伝えなさい。自分が人からかけられたい優しい言葉で、他人に語りかけなさい。言葉には悪も宿るけれど、神も宿ります。言葉で神を形作るのではなく、言葉の中に神を宿しなさい。そして周囲の人々に贈りなさい。

 

あなたはこの瞬間のために3日間、この地で過ごしました。一度入ったら車での移動も許されず、徒歩内には食料を買える場所もなく、持参したパンとハムとタマゴだけを3日間食べ続けながら、手も体も頭も洗えない環境でこの瞬間のためにじっと耐えていました。でも不満や嘆きよりも、3日目の朝に自分で作ったコーヒーを飲んだ時の喜びの中に幸福を感じました。

 

あなたは今晩、どこかで手を洗えることに感謝をするでしょう。体や頭を洗える環境に幸せを感じるでしょう。そういう当然だと思っている日々のシンプルさの中に幸せを見つけられることが、本当の幸せなのです。

 

それが「その瞬間を生きる」ということなのです。

 

そのことに改めて気付くために用意されている苦労もあるのです。神があなたに伝えるメッセージは、あなたが歩んでゆく人生のどこかに答えを隠しています。それを難しく考えれば考えるほど、その答えは遠退いていきます。けれどシンプルに捉えることで、その答えはいつでも近くに手繰り寄せられます。焦るよりも、シンプルに考えるのです。

 

向こうの「十」より、目の前の「一」を大切にするのです。一つ一つを丁寧に手に取るのです。いえ、一つ。一つ。です。

 

怒られて、思わず家を飛び出してしまった子供が、それでもやっぱり行く場所がなくて、最後は自分の家に戻っていくように、扉の向こうでは神々がいつでもあなたたちの帰りを待っていたのです。最後に帰る場所は、シンプルに、家族(神々や動植物たち自然界)が無償の愛であなたたちを迎え入れる場所なのです・・・。

 

現し世で道に迷って、怖くて泣いていたあなたの内なる子供の手を取って、さぁ、一緒にこちらにお帰りなさい。ほら、神々が見えるでしょう?あなたたちが思うような、どこか遠い手の届かない場所じゃなくて、扉を開ければすぐそこに神々が見えるでしょう?あなたたちを迎え入れる母のような、わたしたちの姿が見えるでしょう?

 

見える・・・。

 

ボクには神々の姿が見えている。おかえりって、迎えてくれている・・・。木々が、鳥が、動物たちが、昆虫たちが、土が、石や岩が、風が、湖が、そして神様が、「おかえり」って・・・。

 

ボクたちみんなを隔たりなく迎えてくれている。一人。一人。を大切に、丁寧に。

 

2024年4月8日3時25分。

 

太陽と月が一つになって、まだ一秒も経っていない永遠の中で、ボクは気付くと泣いていた。やっと家に帰った子供のように、安心して、神様のもとで涙をぼろぼろと溢していた。

 

夜の食国の扉が開いて時間が止まり、音が消えた。暗闇と静けさの中で鳥たちが囀り、虫たちが一斉に鳴いていた。あちらこちらで犬が吠えている。現し世の音が聞こえない・・・シャンプレーン湖のさざ波が止み、鏡のように静まっている。 

 

 

「ただいま・・・」