コレ、なんだと思いますか?

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縄文時代(紀元前300年以前)15歳

弥生時代(紀元前300~西暦250)18~28歳

古墳時代(250~538)10~20歳代

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飛鳥時代(592~715)28歳~33歳

奈良時代(715~806)28歳~33歳

平安時代(806~1190)30歳代

鎌倉時代(1190~1329)24歳

南北朝時代(1329~1394)50歳?

室町時代(1392~1573)15歳

*戦国時代と呼ばれる期間 {1467~1615}

安土桃山時代(1573~1615)30歳代

江戸時代(1615~1868)32~40歳

明治時代(1868~1912)44歳

大正時代(1912~1926)44歳

昭和(1926~1989)初期45歳、戦時中31歳、後期70歳代

平成(1989~2019)男女ともに80歳代

 

実は、上の表はノンモが興味本位で調べた「その時代ごとの平均寿命」なのですが(西暦と年号が食い違っちゃってたらごめんなさい🙇‍♂️)過去二千年ちょいを振り返ってみると、日本人の平均寿命って時代と共に延びていってるんですね~😲

 

もちろん平均寿命というのは、あくまでも“平均”なので、それよりもっと長く生きた人もいれば、もっと早い段階で亡くなっちゃった人もいると思います・・・が!それにしたって縄文時代の15歳とか古墳時代の10~20代って・・・💦ノンモが既に3回くらい死んで生まれ変わってる年齢ですよね😅

 

因みに、この“平均寿命”に関する情報はグーグルから検索してきたものなので、どこまで信憑性があるかは実際わかりませんし、諸説あるとも思いますが、もしもある程度正しい情報だとしたら、南北朝時代にいきなり平均寿命50歳代に突入したり、その後の室町時代に急に15歳に下がったりするのも何だか不思議ですよね~🤔・・・ま、あまり(というか全然)歴史に詳しくないのでよく知りませんが、室町時代の半分くらいが戦国時代と重なっているから、戦で亡くなった人がたくさんいたのでしょうか・・・?とは言っても、その後の安土桃山時代だってガッツリ戦国時代と重なってるのに平均寿命が30歳代ですしね・・・🤔🤔❔ドーユーコト?

 

そこで「んじゃ、もしかして犯人は疫病か!?」と思い、更に調べてみると、確かに日本で(というか、世界中どこでも疫病は流行ったと思いますが)時代に沿って定期的に疫病が猛威を奮っており、日本史上の最初の大流行は紀元前148年~紀元前30年の崇神天皇の時代(ってことは弥生時代に当たるのかな?)で、その次にデッカイのが来たのが西暦4~5世紀(古墳時代)の天然痘。また735年から738年にかけて(奈良時代)の天平の大疫病では150万人近い(当時の総人口の3割強)の犠牲者が出たとのことで、平安時代に入っても天然痘の流行は定期的にやってきており、更には麻疹まで流行り出しちゃったとか…😰麻疹は天然痘よりも感染力が強くて致死率も高かったため、子供がそれらを乗り切って7歳を迎えられたことを祝うのが七五三のお祝いになったんだそうです。

 

 

 

鎌倉時代や安土桃山時代にも同様に、天然痘や麻疹の流行に人々は脅かされますが、江戸時代に入ると麻疹の流行は引き続きあるものの、徐々にその致死率が下がっていきます。しかし、その代わりに江戸時代には“風邪”が流行し出します。ここで言われる風邪の多くは、今で言うインフルエンザであった可能性が高いと言われていて、それに加えて江戸時代の末期にはコレラが蔓延・・・。インフルエンザと同じくコレラも外国船から人や物と一緒に日本に上陸してきて多くの犠牲者を出したんだそうです。

 

⇑[1859年] 歌川広景作:人間以外のものを擬人化させて戦わせるという構図は「異類合戦物」といい、青物と魚類が戦うこの図は安政のコレラ流行を受けて描かれたらしく、コレラに罹りにくい野菜類とコレラに罹りやすい魚介類を戦わせ、青物が勝利するという構図になっています。この絵が描かれた前年はコレラが流行し、江戸では生もの、特に魚が全く売れず、野菜類は逆に高騰したのだそう。

 

⇑「病が流行したら私の姿を写し人々に見せよ」と言い残し、海へ消えたとの伝説が残されるアマビエ。コロナ禍でその存在が再発見され、話題になりましたね😆

 

・・・と、グーグルで調べたことをザザッと書き出しましたが、時代ごとの平均寿命と疫病の流行を比べて見ても、さほどの因果関係はなさそうですよね。

 

ま、確かに時代と共に人が衛生面での知恵をつけていって、食べ物も少しずつ栄養のあるものを摂れるようになり、医療も進んで行ったと考えれば、縄文時代から大正時代くらいまでの「徐々に平均寿命が伸びていく」のも納得いくのですが・・・でも!!昭和後期にいきなり70歳代に突入して、平成においては80歳代ってちょっとスゴくないですか❕❔だって平均寿命80歳代って、大正時代から一気に倍ですよ!まぁ、何でもかんでも「怪しい、怪しい」と言って、面白おかしい陰謀論系のスピ情報を書くつもりではありませんが・・・でも、衛生面、栄養面、医療面での進歩を考慮したとしても「昭和後期以降に何があったんだろう・・・」ってフツーに思ってしまいますよね🤔❓

 

『まァね・・・でも、キミがさっき言ったように、平均寿命はあくまでも“平均”だから、例えば平均寿命15歳の室町時代にだって60~70歳代まで生きた人もいた訳で、みんながみんな15歳までに亡くなっちゃったという意味ではない。

 

だけど(これは前にもブログで言ったことだけど)昭和中期くらいまでの人の歳の取り方と、それ以降の人の歳の取り方では明らかに違いがわかる。例えば当時の40代の人は、今の40代の人と比べて同じ年齢とは思えない。もちろんそれに対して「今は化粧品などが豊富だし、スキンケアやヘアカラーで若く見せられるようになったから」という言う人もいると思う。それも確かに一理あるよね。でも仮にスッピンで勝負したり、化粧やスキンケアを一切していない男性同士で比べても、やっぱり当時の人と今の人ではまるで歳の取り方が違う。それは見かけだけの話じゃなくて、身体面や体力面で見ても差は明らかだよ。確かに衛生面や健康面、医療、美容、食べ物から摂れる栄養にしたって、今は昔とは比べ物にならないのは事実・・・だけど、本当にそれだけで平均寿命が一気に倍近く(30歳~40歳も)伸びて、見かけや体力的にも逆行するかのように若返っていくものだろうか・・・。

 

 

縄文時代から昭和初期までの二千年以上に渡る緩やかな人間の生命の伸びを考慮すれば、本来、昭和後期~令和にかけては平均寿命50~55歳くらいがちょうどいい筈なんだよ。なのに現在(令和)の日本人の平均寿命は男性が81歳、女性が87歳を超えている。大正どころか昭和初期と比べたって、もうすぐ倍の平均寿命になるんだよ。そしてこのまま進めば、今から25年後には男性が85歳、女性が90歳代を超えるとまで言われている。

 

日本は昭和に入って神武景気(昭和29年~32年)で高度経済成長期の幕を開け、岩戸景気(昭和33年~36年)で更なる好景気を迎えて“スピード時代”に突入し、三種の神器(白黒テレビ、冷蔵庫、洗濯機)が普及して、いざなぎ景気(昭和40年~45年)で戦後最長の高度経済成長の好景気を迎える。それから日本はとにかくみんなが「忙しい」時代を生きてきた。

 

 

更に15年以上経ってバブルの時代に突入すると、その忙しさは極限に達して、同時に時間がどんどん足りなく(=短く)なっていく・・・そして平成3年にパンパンに膨れ上がっていたバブル景気が破裂すると、経済と共に日本人の中の時間の感覚(肉体の時計と意識の時計)まで崩壊してしまったんだ。例えれば、物凄いスピードで走っている電車の中に乗っていて、その電車はどんどん速度を増して進んでいくんだけど、車内の中(本当の世界)だけは時間の流れが変わらない。あまり時間の流れが変わらない車内から、みんなが車窓の外を流れる時代のスピードに着いて行こうと必死で生きている。けれどある時、その電車が急ブレーキをかける。そして電車と一緒に中に乗っていた自分たちの肉体も速度を落としたものの、日本人の中身(意識)だけがそれまでの勢いのままに前へ前へ飛ばされて行く・・・。

 

まぁ、これはあくまでも比喩した例え話だから、実際にそんな場面を想像すると、肉体もろごと前方の壁に激突してしまいそうな感じがするけど、そうじゃなくて、日本人の意識はその“車窓の外の時間の流れ”のままに物凄いスピードで前へ進み続けてしまっているんだ。

 

以前に「現在、この世の次元は急上昇中で、実際に時間の流れもメチャクチャに早くなっている。今の50代の人と、昔の50代の人の老い方が見た目にも明らかに違うのは、次元と時間の流れの歪曲が原因で、コンピューターなどの最先端テクノロジーの進化のスピードも同時に目に見えて年々早くなっている。この加速する時間の流れとテクノロジー面での電磁波の変化や繰り返されるアップデートにある時、人間の細胞復活の周期が追いつかなくなり、細胞がみるみる死滅して一気に老け込み、病気にもかかりやすくなっていく」という話は何度かしたよね?

 

でも、そういう世界規模で起こっている話とは別に、日本人は過去の忙しい時代の名残りのままに先へ先へと生き急いでしまい、“自分たちの時間の流れ”を早めてしまっているんだ。これは物質的な現実世界の話と目に見えない世界の話の混合になるから、どうやって説明したら一番わかり易いか難しいところだけど、まぁ率直に言えば「自分の生きている世界の時間の流れは、自分の意識のスピードに比例する」と言った感じだね。つまり、本来の地球の時間が緩やかに1年の時を刻んでいる間に、自分の生きている世界だけが2年経っている。だから速度を緩めた電車に乗っている自分の肉体がゆっくり時間を進んでいるのに、物凄いスピードで前へ進んで行く自分の意識は周囲を流れる世界のスピードに沿って生きている。

 

2つの現実に1つの肉体がどんどん引き離されているんだ・・・。

 

さっきも言ったように、言葉で説明するのはなかなか難しい次元の話だけど、いずれにしても「年齢よりも若くいられるのは嬉しいことじゃない♡」と思うよね?それは確かにそうだと思う。「永遠の美、永遠の若さ」はいつしか現代人にとって人生のテーマの一つにもなってしまっているしね。でもその代償に、多くの人がその若い肉体の中で“生きる”ことが出来なくなってしまっているだよ。本来の時間の流れに沿って、ゆっくり「今という瞬間」を生き、「今という瞬間」を満喫して、「今という瞬間」の車窓の外の風景を楽しむことが出来ず、意識や気持ちばっかりが「もっと前へ、もっと先へ、もっと、もっと・・・」と焦って生きてしまっている。80年以上生きたって、中身(人生)が空っぽじゃ意味ないんだよ。身体も心も若くいられたって、死ぬ瞬間に人生を振り返って走馬灯に何も映っていなければ寂しいし、結局は後悔して終わってしまうんだよ・・・。

 

だからね、時々は息抜きすることが大事なんだ。忙しいながらも休憩をして周りの景色を楽しむくらいの余裕を持つことが大切なんだよ。そうじゃないと何のために生きているのか分からない・・・そうじゃないと、昔の人がゆっくりと40年を(大変なことも嬉しいことも辛いことも幸せなことも含めて)吟味して生きたのに対し、今の自分はあっという間の時間を過ごして、気付けば50歳、60歳、70歳、80歳・・・そして人生なんてあっという間に終わってしまう。

 

 

生き急ぐ必要はない。ゆっくり歩いたって、時々立ち止まったって、死ぬ訳じゃない。若い身体と心で80年も、90年も、100歳までも生きながら、その時その時の「今という瞬間」を楽しむことだって可能なんだ。忙しいのを周りのせいにしてちゃダメ。時間は作ろうと思えば作れるもの。急いで先を生きちゃっているのはキミの意識だからね。

 

肉体を脱ぐその時がいつか巡って来た時、自分の走馬灯にたくさんの景色が写っているように、さぁ、読み終わったら車内の中に戻っておいで。

 

ゆっくり外の景色を一緒に楽しもう・・・』