いや~、まさかまさか、自宅からそんなに離れていないローカルのちっこい映画館で『君たちはどう生きるか』を上映しているとは夢にも思ってもおらず・・・Σ(゚Д゚)

 

(NYでの映画上映の情報を教えてくださったMさん、ありがとうございました🙏💗早速、観て参りましたよ~😆✨✨)

 

まず、この『君たちはどう生きるか』というタイトル、英語名では”THE BOY AND THE HERON (少年とサギ)”と言うのですが、なぜ『君たちはどう生きるか』をそのまま直訳した”How do you live?”とか”How are you going to live?”にしなかったのかと言うと、多分そんなに深い意味はなく、理由は単に「アメリカ人に意味不明すぎるから」じゃないかとノンモは勝手に思っております。つーか、話の内容もかなり「意味不明」ですしね😆

 

でもノンモ的には、この『君たちはどう生きるか』の日本語タイトルを最初に聞いた時に一番に受けた印象は、”How are you people going to (choose to) live?”だったんです。つまり宮崎駿監督に「君たちは残された時間の中で、どんな生き方を選ぶのか?」と問いかけられているような・・・なんか、その中に隠された“選ぶ”というニュアンスにす~ごく重要なものを感じたんですよね~🤔

 

(宮崎駿監督:「そんな意味もニュアンスも、込めてねーっつーの!!」)

 

 

とにかく観る前からあ~だこ~だ考えてても仕方ないので、意味不明(って多くの方が言っていたので😅)を覚悟で観に行ってきました!「えっ!こんなとこに映画館あるの!?」というような場末(?)で平日の夜7時に観に行ったからなのか、はたまた神様の采配か、映画館にはノンモとパートナーのザ・二人しかいませんでした😆ガチ貸し切りですよ~!

 

 

そして今回、運よくこの映画を日本語バージョン(英語字幕付き)で観ることが出来たのもラッキーでした♪やっぱり英語吹替になると、あらゆる意味で大切なニュアンスやその映画の持つエネルギーまで変わってしまうので、その「日本語ならでは」の独特の雰囲気をちゃんと素のまま味わえるのもノンモにとっては嬉しかったです。事実、日本語を聞きながら、英語字幕を読んでいると「えぇっ?そこ、そう訳す?」という場面もちょくちょくありましたしね😅

 

(ここから先は少しだけネタバレです⚠まだ映画を観てらっしゃらない方は、観てからまたお読み頂ければ幸いで~す🙇‍♂️💗)

 

というワケで、今回は周りの観客が話をしていたり、スマホを使っていたり、グループで来て騒いだりしているのに対してイライラ気が散ることなく(←ニューヨークではよくあること😅)とりあえず落ち着いてじっくり映画を観ることが出来ました♡そのあらすじを始まりから終わりまで順を追いながら嚙み砕いて細かく解説していくつもりはありませんので、観終えた後のノンモなりの感想をザザッと簡単にお伝えできれば・・・と思っておりますが、とにかくノンモの率直な感想を一言にまとめると、

 

「すげーーーーッ❕❕」

 

でした!!なにが凄いのかと言うと、意味不明さや支離滅裂さが凄かったんです!!いや、おちょくってる訳ではなくて、ほら、皆さんもご経験あるかと思いますが、夜寝ている時に見る夢ってけっこう支離滅裂ですよね?支離滅裂なのに、なぜか夢の中では納得して物語を進めている自分がいる・・・話の展開だって辻褄が合ってないのに、大抵のケースにおいて夢の中では不思議とも思っていない。それが悪い夢になってくればくる程、支離滅裂さは拍車をかけて行くんです。

 

そんな意味不明かつ支離滅裂さを、この映画はものの見事に描き上げていて、まるで面白い“悪夢”を見ているような感覚に陥ったんです!だから物語の中で本当だったら“矛盾している”部分も、まるで矛盾とは感じずにすんなり受け入れて観ている自分がいました。

 

とは言ったものの・・・

 

いつの間にか宮崎駿監督に催眠にかけられたのか(宮崎駿監督:「掛けてねーっつーの!」)、その夢のような支離滅裂な話の展開マジックに引き込まれたのか、スクリーンを凝視した状態のまま意識がウトウトしてしまいました・・・😴

 

そして気付いたら、いつしか“悪夢”の中にいたんです。

 

自分でも「これは悪夢だ」と小声に出して言っているのですが、頭の中では「いや悪夢だけど、夢じゃなくて現実だ」って思っているんです。

 

とは言え、完全に眠っている訳ではないので、朦朧としながらも「なに言ってんの、自分?」とツッコみ入れてる客観的なノンモもいて、何が何だか分からなくなっていると、スクリーンの中で人間語を話し出している鳥が出てきて、

 

「そりゃあ、鳥は動物たちの中で唯一、音や言葉を完コピ(記憶)して発声することの出来る生き物だからねぇ」

 

と何の違和感も感じず、納得しているんです。

 

「まぁ、言語はもともと鳥がどこかでコピーして来たものを人間に教えたものだし、この世だって、結局、幾つもの鳥のグループが別々の目的で四方八方から統治を争っているのは誰もが知ってることだしね」

 

そう映画の中で誰かが言っていたのか、自分が夢うつつの脳内で勝手に想像したのかは分かりませんが、とにかく自分が“悪夢”の中にいるということだけは妙に確信しているんです。その悪夢の中では、隕石は「いつか衝突するかも知れない」ものではなくて、すでに「衝突している」んです。つまり、今まさに隕石が衝突したばかりのその“瞬間の悪夢の中”にいるんです。

 

隕石が衝突した瞬間に、地球上から“本当の時間”というものが消滅して、幻の時間が生まれ、そして今、人間は衝突の衝撃の悪夢の中に閉じ込められて、出口を探しているんです。でも、この悪夢が「現実世界」だと思い込んでいるから出られないんです。

 

悪夢の中で、誰も隕石の衝突に気付いていない・・・まるで事故を起こした人間の記憶が数分前から消えちゃうように、人間の脳の中で隕石が衝突するまでのカオスが消え去っているんです。でも衝突の衝撃で、それまでバランスを保っていた世界中のそれぞれの文化や文明が混ざり合ってしまい、更には時空を超えて高次元(天国)や低次元(地獄)の魂たちが「現実」と呼ばれるこの3次元に一斉に入り込んできてしまった・・・だから、あらゆるレベルの魂を持つ人間たちが爆発的に人口を一気に増やしていくんです。

 

でもここは「現実」なんかじゃなくて、悪夢の中。

 

勉強不足なのでよく分からないけど、例えば日本では文明開化といって明治時代の始めに西洋文化が混ざり込んできた・・・つまり、“その頃”を境に世界中の文化や歴史、習慣のバランスが崩れ始めていくんです。それ以前には、本当はこの世に戦争とか偽りの宗教とか、そんなものはなかった・・・「いや、どっちも文明開化が起こるもっと前から世界中にあったよ」と思いがちですが、この悪夢の中では、隕石衝突の瞬間にあらゆる層の次元が混ざり合って、その衝撃のカオスの中で「昔からあったこと」になってしまっているだけなんです。夢の中では矛盾や支離滅裂がまかり通ってしまうように・・・。

 

そう言えば、ここ最近、事ある毎に「こんな筈はない、こんな筈はない」と現実世界に対して根拠のない疑問のようなものを感じていたのですが、もしかするとその直感は正しかったのかも知れない・・・。だって、みんなが現実だと錯覚している世界なんて、本当は存在しないのですから。本当の、正真正銘の“現実”は、この悪夢の外側にあって、こんなに支離滅裂な世界じゃないはずなのですから・・・。

 

今、“現実”として夢見ているこの世は、隕石衝突の瞬間のほんの一瞬の衝撃と発光の中にしかないもの・・・だとしたら、この隕石の衝突は、神様が起こしたものなのか、地球外の生命体が起こしたものなのか、もしくは自然現象なのかは分からない。けど、一つだけ確信できているのは、みんなが今、隕石衝突の瞬間の真っ只中にいるんだってこと。

 

天も地もぐちゃぐちゃになって、魂も遺伝子も核もすべてが時空を超えて混ざり合い、逃げ場を失って悪夢の中でどんどん人口が増えていく。こんなに急速に世界が機械化してAIやオートメーション技術が発達して、それを当たり前だと思い込みながら、それがどんなに辻褄の合わない矛盾したことなのかを夢の中にいるから決して気付けない。さっきも言ったように、夢の中では辻褄の合わない支離滅裂が何の不思議もなくまかり通ってしまう。

 

今見ている夢の中には神様の姿がない。だって神様は夢の外側にいるんだから。神様は“現実”と呼ばれるこの3次元の悪夢を見ている僕たちに、救いの手を差し出している。例えれば、昏睡状態の中に閉じ込められている人たちに、目を覚ますようにと耳元で声を掛けている感じかも知れない。ただ、それとの決定的な違いは、僕たちがいるのは昏睡状態の中ではなく、隕石衝突の瞬間の衝撃の真っ只中にいるということ。光も、煙も、炎も、全てが一つの瞬間に凝縮している“衝撃”の中にいる。

「早く逃げないと、もう時間がない・・・」

 

ふと意識が戻ってスクリーンを見ると、隕石を囲んで建てられた石の塔が出てきて、そこから上の世界へも下の世界へも行けるようになっている。また、石の塔の中にはたくさんの扉が並んでいる場所があって、それぞれが鳥居の外へと繋がっている。

 

あれ・・・本当にそんな話だったっけ?

 

鳥居って、隕石衝突の影響で時間や空間を行き来する機能を失ってしまったんだっけ?機能を失う前は、鳥居をくぐって別々の鳥神たちが統治するそれぞれの世界へと行けたんだっけ?

 

鳥と言っても、3次元の夢の中で飛び交っているような鳥の姿ではないんだけどね・・・って、この映画の中で言ってたんだっけ?

 

もう映画の中の話なのか、朦朧とする自分の意識の中で展開されていたことなのか、支離滅裂すぎて分からなくなってしまった・・・。なのに今、すごく納得している自分もいる。

 

納得しているから、ボーッとしながらもここを出なきゃいけないことを分かっている。このままだと“現実”だと思い込んでいるこの3次元から目覚められず、意識だけが夢を見続けることになってしまう。ここから抜け出すには、この“悪夢”の中で神様の波動に近づき、その救いの囁きを聞いて目覚めるだけ。そうすれば本当の・・・正真正銘の神様たちの待つ現実世界に行くことが出来る。

 

その為に、これからどう生きていくのかが重要になっていくんですね?どんな生き方を選ぶのかで、この支離滅裂の世界から目覚められるかどうかが決まるんですね?

 

最後のシーンで、眞人のカバンの中に『君たちはどう生きるか』と書かれた本が入っていた。

 

その場面はしっかり覚えていたのですが、ひょっとしたら映画の殆どを眠っていて観ていなかったのかも知れない・・・そう思って、帰り道に少しガックリしていたのですが、翌日になって頭がスッキリしてから映画の内容をもう一度ふり返ってみると、あんなに意識が朦朧としていて話も支離滅裂だったのに、驚く程しっかりと少しも話しが漏れることなく覚えていました。多分、始まりから終わりまで細かく語って聞かせられるくらいに。

 

じゃあ、

 

「今、現実だと思っているこの世界には、辛いことばかりじゃなく、楽しいことも、嬉しいことも、幸せに感じることも色々あるけど、それらを全てひっくるめても『あぁ、3次元は悪夢だった』と思えるくらいに本物の現実世界は素晴らしいから、さぁ、早くそこから目覚めなさい」

 

って、誰が言っていたんだろう・・・?