伊邪那岐命(イザナギ)は言った。

 

「月読命よ。そなたはわたしが最後に授かった尊い三人の御子の一人・・・わたしの愛に分け隔てはない。しかし、そなたは天照大御神のような女神としてのエネルギーも、須佐之男命のような男性としてのエネルギーも持たぬ、いわば中性の神。そなたにはこの現し世においての役目はなかろう・・・。月読命よ、日の目を見ぬ夜の食国に身を置き、裏の世界からこの世を統べるのだ。さぁ行け。ここから先、そなたの名が現し世の古事に残ることはないであろう。誰からも語られることなく、誰からも知られることなく、表舞台の裏方に潜在し、闇の常世から世界中の生きとし生ける全ての対となる生物が、互いに惹かれ合い、性交(とぼ)し、その生を後世まで残し続けられるように、月の満ち欠けを司り、この世の繁栄を見守るのだ。そして生と死を御し、地上の生命の均衡を保つのだ・・・。我が御子よ、さぁ行け。そなたについてわたしが語るのはここまでだ」

 

こうして月読命(ツクヨミ)は伊邪那岐命の命により、現し世を後にし、それ以降、顕在化していく人間界においてその姿を見る者はなかった・・・。

 

 

現し世で、須佐之男命が成人しても泣き喚くのをやめず、青山を枯らし、川や海を干上がらせ、悪い神々が国中に災いをまき散らしている間、月読命は裏の世界で伊邪那岐命に命じられた通りに、誰にも知られることなく潜在の常世を治めていた。

 

そこは考える世界ではなく、思う世界。話す世界ではなく、感じる世界・・・。よって、そこには言語も文字もなく、ここから先の古事については人間たちによって語り継がれることはない・・・

 

 

「月読さま、月読さま・・・。現し世の人間たちが我が物顔で地上を好き放題に致します故、わたしたちは住む場所をどんどん追われてゆくばかりか、命の危険と背中合わせで日々を過ごさなくてはならなくなっております。顕在化した人間界で大地語を話せる者はもう殆どおらず、わたしたち動物たちの声も、植物たちの訴えも、岩石や鉱物たちの警告も、まるで耳に入らぬ様子・・・全くもって三界の言葉を解さないのでございます。それどころか人間たちの驕慢なる振る舞いは、八百万の神々に対してすら礼節を欠く始末。このままでは現し世のために、この常世(潜在世界)は衰退の道を進んでしまいます」 

 

狐がそう訴えると、月読命は少し考えるように俯いた後で、こう答えた。

 

「わかっています。須佐之男の治める現し世は、多くの男が女子供をぞんざいに扱い、酒を食らい、手の付けられない乱暴狼藉を振舞っています。動物や植物に生があることも忘れて容易く命を奪い、必要以上に貪った後で大地に穴を掘り、残肉と自らの汚穢をそこに垂流し、感謝の念すら忘れている。姉上(天照大御神)も、その容子を高天原より眺めて落胆しておられる・・・」

 

「人間たちの意識は現し世を誤って顕在化させています。彼らは自分たちが“神”の意識を受け継ぎ、“神”の姿に似せて作られ、そして他の生き物が意識の低い野蛮な獣だと思い込んでいます。昆虫や植物に関しては命持つものとすら思っておらぬ者も多く、踏みつぶすことに何の躊躇もありません。本来、地上は常世が表を統べ、現し世が裏にあるということを知らず、自分たちの本当の姿を見る鏡も持たぬ様子なのでございます」

 

その狐の言葉に、そばにいた鹿や兎も各々頷いた。

 

「このまま現し世が表の世界を牛耳続けましたら、わたしたちの常世は出口を塞がれたまま、顕在化した人間たちの3次元の堕落の渦動に巻き込まれ、その道連れとなって八百万の神々までもが共に滅びてしまいましょう・・・」

 

月読命はそれを聞いてまた少し黙り込み、そして小声でこう言った。

 

「・・・姉上もそれを案じ、須佐之男に会うために高天原から現し世に降りておられたようですが、あまりの人間界の波動の乱れ具合に嘆き、絶念してその御姿を隠してしまわれた・・・」

 

「わかっております、その為に現し世のみならず、高天原までもが暗闇に包まれてしまいました。しかし、その後で天照大御神さまが天岩戸から御姿をお示しになられ、高天原には光が戻り、地上界も一時は秩序を取り戻しました。なのに・・・現し世の人間たちはまたもや元の堕落の道を進んでいるのでございます」

 

「いいえ、姉上は・・・天照大御神は、まだ完全には天岩戸から出て来てはおりません」

 

その月読命の言葉を聞いて、狐も鹿も兎も、鼠も猿も鶏も鳩も驚いた。

 

「完全に・・・と申しますと?」

 

「天照大御神は一柱ではないのです。光と影・・・陽と陰。左と右。表と裏。語られる世界と語られない世界・・・。つまり、対となるもう一柱の天照大御神は、まだ語られていない世界に身を潜めているのです」

 

「では、そのもう一柱の天照大御神さまと仰いますのは・・・もしや」

 

かァごめかごめ(神宮女=巫女=卑弥呼=天照大御神)

かーごのなかの鳥は(目に見えない/語られない場所で護られている鳥は)

いついつでやる(いつ出てくるのか)

夜あけのばんに(日の世界と夜の世界=太陽と月が一つに重なる時)

つるつるつっぺぇつた(するすると尾を引いてやってくる)

なべのなべのそこぬけ(底が抜けたように穴が空いて)

そこぬいてーたーァもれ(その穴を通ってやってくるから、どいておくれ)

 

 

「現し世の人間たちは、神の本当の姿をまだ知りません。大地語を忘れ、自らをこの世の表舞台の主役と驕り、地上世界で共存する常世の神々(動物たち)を自分たちよりも意識の低い獣と考えています。




踏みつぶしても影響ない虫ケラだと思っています。自分たちの都合で利用できるものを利用し、要らなくなったら捨てるだけの彼らの所有物だと思っています・・・。

 

でも、今はまだそれでいいのです。

 

わたしたち常世の神々の役割は、まだ未熟な現し世の人間たちに生き物の命の尊さを教えること。命を奪われる側ではなく、奪う側に心の痛みを教えること。言葉や種を越えて、命あるもの同士が与え合える無償の愛があるということを教えること・・・

 

それを教える為に、多くの昆虫たちが踏みつぶされ、芽は摘まれ、動物が狩られ、食物にされ、地上での居場所をどんどん失われていっています。

 

それを教える為に、犬や猫などの常世の神使が人間界と自然界を取り持つ役目を務めています。

 

本来、地上の大半を占めている自然界が本当に世界を取り戻そうとしたならば、人間界など瞬く間に消滅させられましょう。現し世など、常世に比べればほんの氷山の一角に過ぎないのですから・・・」

 

「では、なぜ堕落を続ける現し世の人間たちから、今すぐ地上を取り戻さないのですか?どうして自らを地上の主役だと驕り、好き放題にしている人間界を滅ぼさないのですか・・・?」

 

「バランスです」

 

「バランス・・・?」

 

「そうです。この世はすべてが対になっています。一方だけでは神の望む世界は完成しないのです。左の眼から生まれた姉上の高天原と、右の眼から生まれたわたしの常世の、中心にある現し世がバランスを保てなければ、生命は鼻からの呼吸を維持できず、精神が乱れ、神の望む本物の世界は完成しないのです。

 

神が本当に憧憬する世界を形にするために、人間界だからこそ出来ることがあります。また自然界にしか出来ないこともあります。その両界が手を取り合わなければ、神々が地上に存在し、共に暮らせる世界は完成し得ないのです。

 

常世に比べれば、現し世の人間たちはまだ産まれて間もない子供のようなものです。子供のうちには残酷なことも、目を覆いたくなるような振舞も、理解し難い挙も行ずるでしょう・・・。けれどそんな経験を通して、次第に相手の心の痛みを自らの痛みとして感じられるようになっていくのです。自分たちの行動の良し悪しを、顕在化した意識による理屈や規則のみで判断したり裁決するのではなく、潜在する心の奥で慈悲や同情の心、思いやり、優しさを感じて、誰から教わらずとも自らの行動の中に感情が芽生えるようになっていくのです。自らの内に神が誕生していくのです。

 

その時が来るのを、神(IS)はじっと待っているのです・・・。

 

今、現し世で、自然界への愛情を感じ始めている人間が覚醒し出しています。戯れで無駄に命を奪われる動物や昆虫たち、人間の”便利”という都合だけで無計画に薙ぎ倒されていく樹々、利益のために掘られ崩されていく土や岩、そして再生不可能な廃物で汚されていく大地・・・。それらに対して心を痛め、自分たちの行動を改めようと働き出している人間がいます。

 

ゆっくりですが、表の世界が裏の世界に歩み寄って来ているのです・・・。

 

そうやって、いつしか現し世で表の世界と裏の世界が一つになり、常世の扉が地上で開かれる時、

 

 

対となるもう一柱の天照大御神はその姿を現すでしょう。

 

 

日の世界と夜の世界が重なって、底が抜けたように穴が空く時、するすると尾を引きながら、その穴を通ってやってくるでしょう。

 

 

わたしの古事は、そこから始まるのです・・・」