「山辺里織」をご存知ですか?
「山辺里織」は江戸時代から続いた村上の貴重な伝統文化で、堆朱・お茶と並んだ村上の地域産業でした。
クリエートで行われた「山辺里織」の講座で、村上市の学芸員 竹内裕さんが「山辺里織の沿革」を話してくださいましたので、簡単にご紹介します。
寛政末年、山辺里村庄屋4代小田伝衛門光貞が、息子たちに西陣、丹後、仙台で機織の技術を学ばせ、
手機の絹織物の生産に着手したのが、「山辺里織」の始まりだそうです。
江戸時代には、「村上平」「村上縞」として藩内はもちろん、江戸にまで販路を拡大。
明治9年に「山辺里織」と改め、明治前期には販売が最高潮となり、洋服裏地として、イギリス、フランス
にも輸出。フランスでは「サベリ」と呼ばれ高級裏地の代名詞となりました。
その後、「山辺里織物株式会社」となり、全国に販路を拡大。中国大陸への販路も拡大し、洋服裏地の生産が名実ともに日本一となったそうです。
昭和18年に「山辺里機業株式会社」をつくり発展しましたが、昭和58年に閉鎖になりました。
現在は、「山辺里織」の始祖直系の小田テル子さんが、伝承者として江戸時代の手機織を再現しています。
↑江戸時代、お城に収めた生地のサンプル。
歴史ある山辺里織の保存と伝承、後継者育成を目的として、8年前に「山辺里織をみんなでささえる会」が発足しました。
7年前から織物体験教室を開いて、後継者育成を図っていますが、細い絹糸で織る山辺里織は大変な作業で、なかなか後継者の育成にはつながりません。しかし今は、機織が好きなみなさんが集まって、裂織を中心に和気あいあいと楽しみながら作品作りが進められています。
たとえ、後継者育成に繋がらなくても、楽しむことが一番大切なこと。と小田さんはおっしゃっています。
↑裂織作品。
後継者育成は困難でも、山辺里織の素晴らしい伝統と文化を後世に語り継ぎ「山辺里織」の名を残して行くために、たくさんの方に「山辺里織」を知ってもらいたいです。