初投稿です。
このブログは、自分の備忘録が、主な活動理由ですが、もしうつのどん底にいる人が読んでいたら、少しでも、その人の力になれるように、と思っています。
私の好きな本から、一説を紹介します。
・何もするな、この本も読むな
うつの苦しみの中で、この本を手に取ったあなたは、きっと「人生をよくするために何かをしなければならない」と焦燥感に駆られているのではないのでしょうか。
あるいは、「自分は何もできていない」というような自責の感情もあるかもしれません。
しかし、うつの底という本当に厳しい状況でやるべきことは、常にひとつしかありません。それは、「何もしない」という事です。あるいは「横たわって眠る」という事です。
発達障害サバイバルガイド――「あたりまえ」がやれない僕らがどうにか生きていくコツ47/借金玉 より
この本では、この後どうしても何かするなら、魔法瓶をひとつ買い、温かい紅茶に砂糖をたっぷりいれて飲む事を勧めています。
私は、泡がたっぷりのカフェオレを飲むのが好きです。
この記事では、
- 前職でうつ病を発症した理由
- 発症~休職~退職までの私の状況
書いていきます。
前職について
時間管理が苦手な私は、フレックスタイム制の職場で、営業職として働いていました。
仕事自体は、それなりに楽しく、特にブラックな職場でもなかったのですが、
・社内外への気配りに疲れてしまった
・コロナ渦で、周りとの接触が減ったタイミングで、別部署との統合(違う商材、上司、同僚)
・気軽に相談、愚痴を言える場所、飲み会でのストレス発散機会の喪失
この辺りが、うつ病発症の原因だと思っています。
メンタルクリニック
―――2021年後半
元々、部屋の片づけと時間管理が苦手でしたが、気づいた時には、一人暮らしの部屋は足の踏み場もなく、ごみが積みあがった状態。
在宅での仕事は、何とか押し入れのスペースにPCを置いて、こなしていました。提出物の関係で、人事部から連絡があったのですが、その時の私は、「すぐ提出します」とその場しのぎの返事ばかりで、提出物を中々出す事が出来ず、叱責を受けました。
この時に、少し変だと思ったのか、病院を勧められ、人事担当者と共に、職場近くのメンタルクリニックへ。
当時の状況(食欲はある、意欲減退)と、過去、ADHDの疑いで病院にかかった(その時は、社会的な弊害がなければ、傾向があっても診断は下りないとの回答)事を伝えましたが、
「一般的なうつ状態とは少し違う、別の病気の可能性もあるが、判断が難しい。ADHDについては、過去診断が下りなかったのなら、その人の特徴に過ぎない。工夫次第で社会生活は何とでもなるし、特に診断する必要はない」
との所見でした。
当時の私は、この診断を受けて、
「自分にサボり癖があるだけだ、もっと頑張らないと」
と考えてしまったのです。
とにかく何かしないといけない、と、発達障害に関する書籍や記事を読み漁り、自分がADHDでなくとも、何かのヒントが得られれば、と、今考えたら的外れな事をしていたかもしれません。
そこから、仕事のパフォーマンスも特に上がらず、再度うつの疑いを人事に相談。
「医者の診断がなければ、会社としては認められない」との返答を受け、再度受診を決意するも、どの病院にかかればいいのか(地元の病院は、新規受付を中止していた)、決断力も鈍っていたので、先延ばしに。
今振り返ってみると、この時はかなりメンタルがやられていたと思います。当時の状況を、端的に書いていきます。
―――2022年明け~4月頃:何もできない
- 一日中、ベッドで寝転がりながら、仕事をしたり、スマホを触ったり
(集中力がないので、メール1通返したらすぐスマホ、みたいな感じ)
-
仕事が片付かないので、適当な時間に退勤処理をし、またメール作成とスマホ
- 何をする気力もなく、ガス、水道は止まったまま。電気は、電子決済で支払いできたので、何とかキープ
- 風呂は入らず、外出の必要がある時だけ、ネットカフェへ行き、シャワーを借りる
- 洗濯ができないので、ずっと同じ部屋着を着る、下着は汚れるので付けない
- どうしても出かける必要がある時は、ネットで服を購入
―――5月:休職確定
この辺りで、仕事がままならず、取引先から上司へ苦情が入り、病院の受診を再度決断。即日受診可能な、ゆうメンタルクリニックへ。
(予約と受診が別日だと、おそらくまた先延ばしにして行けなかった)
無事、診断書を発行してもらい、診断書の写真を人事へ提出し、無事に休職。
個人差はあると思いますが、
- 精神疾患を抱えている状態で、自分の症状を伝えるのは大変難しい
- 病院への予約をしよう、と思い立っても、別の日に受診だと、その日は外出する気力が起きずに、予約キャンセルしてしまう
- ここが辛い、と伝えたくても、脳のキャパが下がっていて、受診時には、伝えたかった事を忘れてしまう
- もしくは、こんな些細な事を話していいのか?ほかの人は、同じ状況でも、悩みとすら思っていないのではないか?
こんな感じで、病院を受診して病気の診断が下りるまでに、色んな苦労がありました。
診断が早いメンタルクリニックは、ただサボりたいだけの人に休職理由を与えてしまうなどの懸念もありますが、本当につらい、逃げたい時の駆け込み寺として、非常に重要だと思います。
私が受診したゆうメンタルクリニックは、すぐに診察申し込みも出来、いい意味で事務的なドクターに診察をしてもらい、自分で選べるカウンセラーとお話が出来ました。
メンタルクリニックにかかる時
・気力が出た時に、すぐ診断してくれる所へ
・セカンドオピニオンを活用していい
・とにかく辛い時は、診断が早い所を受診
・休職は逃げではない、自己防衛の手段
一番つらかった時
―――6月~年末:どん底
ここから、もう少し酷い状態になります。気分が悪くなるかもしれないので、読みたくない方はスルー推奨。少し色を落としておきます。
- 定期通院をする気力が起きず、月一回の診断書提出の為だけに、何とか通院
- 水道は止まっているので、トイレは災害用のグッズで済ませる
- トイレのゴミと、食べ物のゴミがどんどん貯まっていく
- 当時猫を飼っていたのですが、トイレ掃除が行き届かず、病気にさせてしまう
- ゴミ屋敷化しており財布が見つからず、すぐに動物病院に連れていけなかった
- 何とか、即日来てもらえるごみ処理業者(今考えると少し怪しい所)を手配し、100万円支払ってゴミを片付けてもらう
- 動物病院へ連れて行ったものの、手遅れと言われ、衰弱している猫を見る事しかできなかった
- 翌日、猫が死亡。何も手が付けられない状態なので、死体はそのまま。
この間も、なぜかオンラインゲームだけは続けられたんですよね…。
別の人格というか、過去普通の生活を出来ていた自分の人格のまま、ギルド内での役割をこなしたり、他の人との会話をしたり。
今のひどい状態を知られたくない、現実の友達や、同僚からの電話や連絡は、怖くて出られなかったのですが、ゲームでは何とか、普通の人間として生きているような感覚がありました。
スマホやゲームへの依存が取り沙汰される昨今ですが、私にとっては、蜘蛛の糸※のような存在だったと思います。犍陀多※のように、自分だけ助かろう、他人を蹴落とそう、とSNSでの悪口などにハマっていたら、もしかしたら抜け出せなかったかもしれませんが…。
あまり過度な依存も考え物ですが、他に何も頼れるものがない(自分でそう考えていただけですが…)場合、自分が立ち直れるまで使う分には、問題ないんじゃないでしょうか。
※「蜘蛛の糸/芥川龍之介 より」
転機
―――1月~2月:実家への強制送還
年末、帰省しなかった私を心配して、両親が私の一人暮らしのアパートに来訪。半ば無理やり実家に送還。これが転機だったと思います。
この時の私は、とにかく周りの人にこの状況を知られたくない一心で、アパートに両親が来ても応対せず、外で待たせ、帰ってくれ、と伝えました。
後日、再度両親が来て、出てくるまで帰らない、と言われ、根負け。着の身着のままで、両親とともに車で実家に帰宅しました。
実家に帰ってしばらくは、自室にこもり、ごはんも、日中両親が出かけた隙や、寝静まった頃を狙って、こっそり食べる始末。少し両親と顔を合わせても、些細な事で怒って自室に戻って泣いたり、まだ精神的には不安定な状態でした。
月に一度の通院は、母についてきてもらい、何とか続けていました。
―――3月:一進一退
アパートの事を気にしなくて良くなったのが幸いしたのか、少し気持ちが安定してきた時期。たまに両親とご飯を一緒に食べられるようになり、たまに怒ったりもしますが、以前ほどではなく、関係が改善してきていました。
ここで、両親から、
「アパート、ほぼ片付けといたけど、今度必要なものを確認しに行こう」
との提案。自分の内面がドロドロに詰まった部屋を見られたというショックから、号泣しながらも言葉に詰まりながら激怒し、「何で、何で」と繰り返す私を、とにかく抱きしめ、なだめようとしてくれた両親。この時も、私は感情を抑えられず、また一週間近く自室に引きこもってしまいました。
気持ちが少し落ち着いてきてから、母と一緒にアパートへ行くと、8割がたのゴミが片付けられ、以前よりずいぶんと広く見えました。すぐに片付ける気力は起きなかったので、久しぶりにベランダへ出てタバコを吸い、部屋へ戻ると、母が災害用トイレのゴミを片付けていました。
この歳になって、母に汚物の処理をさせてしまったやるせなさから、変わらなければいけないという気持ちが少し沸いてきて、一緒に片付けを始めました。体力もなかったので、一時間程度で音を上げてしまいましたが、一歩前へ踏み出せたという事が、うれしかったのを覚えています。
復職の検討
―――4月:少しずつ前へ
少し前向きな気持ちになり、アパートの片づけも何とか終わり、ついにアパートは引き払う事に。この時には、断薬を検討したい、と病院に相談できるほどに回復。
前職の休職期限が1年だったこともあり、会社への復帰を考え始めました。
―――5月:復職?離職?
人事の担当者から連絡を受け、復職についての面談を実施。リワーク施設等への入所を検討している事を伝え、時短勤務などが可能か相談しました。個別の調整になるが、可能性がある事、またケースによっては、休職期間を延長できる旨を聞き、期日までに診断書と諸々の書類が必要と言われたので、とりあえず病院へ。
いつもの通りに、現在うつ病である、と診断書をもらい、再度面談時に提出したのですが、この時に、齟齬が。
会社としては、復職できる可能性が書かれた書類があれば、休職期間の延長を打診できたそうなのですが、現在も病気が継続し、同じ状態であれば、治る見込み時期がわからない為、このまま退職するしかない、との事でした。
規定をきちんと把握していなかった事、必要な書類の内容をきちんと確認しなかった事が悪いのですが、この時の私は、「会社は私の事を辞めさせたいんだ」としか考えられず、面談中はこらえていたものの、担当者と別れてから、また泣いてしまいました。
数日間は、ショックでまた引きこもっていたのですが、辞めるしかない状況になった事で、頭の中の心配事がまた一つ減って、清々しい気持ちにさえなっていました。
まとめ
うつ病と診断される少し前から、脳のキャパが極端に減っており、様々な事を先延ばしにし、実生活に大きな影響が出ていました。
このままではいけない、と自分に言い聞かせる度に、理想の自分とのギャップを感じ、どんどん底に落ちていくような、もう一生このループから抜け出せないんじゃないか、とさえ考えていました。
メンタルケアの記事を色々読んでも、実践する気力がないのと、まず頭に入ってこない。先述の借金玉さんの書籍の一説は、頭に入っては来たのですが、本当にこれで良いんだろうか、など余計な心配をしてしまい、一進一退を繰り返していました。
どん底にいる時、家族、友達、恋人など、身近な人が、もしかしたら支えてくれるかもしれません。
今、社会から断絶されていて、頼れる人が誰もいない人には、このブログが届いたらいいなと思います。
何もしない自分を、自分で認めてあげられますように。
おわり。