松山市内で坂の上ツアー中です。
本日前半は三津浜から港山へと歩いてきました。
ここからは後半。
港山から梅津寺まではたった1駅ですが時間短縮のため電車移動です。
こんな感じで海の近くを走ります。
梅津寺駅
ホームのすぐ傍が海岸です。
思わず眺めずにはいられません!
ここで同じタイミングで列車を降りた男性が大きめのカメラを持っていたのでもしや坂の上ファン!?と思い声を掛けてみたら、なんと東京ラブストーリーのロケ地目的 の方で、しかも中国から来たとのこと!
梅津寺駅のホームにあります。
この看板と一緒に写真を撮ってあげて別れた後もこの看板の写真を撮り続けている姿が見えたのでかなりのファンと見ました!!良い旅をー!
私はというと梅津寺駅を出てすぐのところにある梅津寺公園へ。
旧・梅津寺パーク
子どもの頃に何度も連れてきてもらった遊園地でしたがいつの間にか閉園、公園になっていました。。。今でもジェットコースターとか観覧車とか、乗り物の場所を思い出せてしまうくらいなのでガランとしている様子はちょっぴり切ない。
でもそんな園内にも明治の松山を感じられるものがあるんです!
伊予鉄道1号機関車
明治21年に松山~三津浜の鉄道が敷かれた時にドイツからやってきて、その後67年間に渡って松山を走り回ってきた機関車です。子規や真之が松山に戻ってきた際に目にして驚くシーンが物語の中にも出てきます。
昭和42年には鉄道記念物に指定されているそうですよ~っ
園内にはこんな変わったものも。
梅津寺温泉上湯口
昭和27年にこのあたりに建設された梅津寺温泉場のものだとか。今は無い浴場だし見る人が見たら懐かしいんだろうな~。
他にも高浜虚子の弟子の句碑などが建っていました。入園料(値段は忘れた;)が必要なためか他に来園者は一人もおらず。梅の季節は賑わうのだと思います。
さくっと梅津寺公園を出て次に向かいます。
これを見るために梅津寺に来たのです!
細い坂道を登ると…
発見!山を背に海を眺めています。
秋山好古の銅像
好古の視線の先は激闘の地、満州(現在の中国北東)!!
最初は道後公園に建てられていたものの戦時中に金属供出により撤去、昭和45年に現在地に再建されました。
そこから更に坂道を登って真之の銅像を目指します。
誰も歩いていません。
景色が見下ろせると気持ちいい!
しかし中々到着しません。
ん?合ってるよね?と不安になってきた頃に辿り着きました!
秋山真之の銅像
好古の銅像と同じく元々は道後公園にあったものが金属供出のため撤去、戦後石手寺に再建されたものの昭和43年に現在地にやってきたそうです。台座の智謀如湧の文字の横には「元帥伯爵東郷平八郎書」とありました。
どちらの銅像も設置されて50年以上経っていることもあってか、周囲もあまり整備もされてないのかな?少し寂しい印象でした。生誕地にあった銅像が立派だっただけに簡易な出来に見えてしまったというのもあるかもしれません。第二次世界大戦後は軍人に対する人々の意識が変わって街の中心から追いやられてしまったのでは、という話も聞き、納得できるようなできないような…そんな気分でした。
2つの銅像が設置されている山を下りたら線路沿いを港山方面へ歩いて海岸のカフェへ。
ここで別行動をしていた夫と合流です。
ブエナ・ビスタ
海の前の素敵なカフェなんですっ
乾いた喉を潤す一杯!
窓ガラスが無いから景色も最高です。
海から吹き込む風が心地よい。
カフェを出たら海岸を散歩。
砂浜には松山市内の大学や高校のボート部の艇庫が並んでいます。
田中麗奈が主演の『がんばっていきまっしょい』は松山が舞台の映画でした。懐かしい!
午後から始めた散策もそろそろ終わりです。
海岸沿いを高浜方面に行けば『坊ちゃん』に出てきたターナー島が見えるかも!?と思い車を走らせます。
すると、遠くに見えました!
ターナー島(四十島)
実は三津浜港から中島に行くフェリーからも見えるそうなのですが、何回もこのフェリーに乗っているにも関わらず今まで全く意識してなかったのでじっくり見たのはこれが初めてかもしれません。
陸の風景は変わっても、海に浮かぶ島々は明治の新時代に松山から旅立っていった若者達が見ていたものと変わらない!はず!
高浜近くの漁港で日没。
松山市内にある物語ゆかりの地を細切れで巡ってきました。細かくいうとまだまだチェックポイントはあるのですが、ここから先は2019年に持ち越しになりそうです。
機会を作って県外や国外の坂の上の雲スポットにも出かけてみたいな~。