真実を観るのは怖い?
「真実を明らかにする」という言葉を聞くと、
なんだか恐怖を感じてしまったり、
逃げ出したくなってしまったり、
見ないふり、知らないふりをしてしまう方も多いです。
隠していた悪事が暴かれて、責められてしまう、
罰せられてしまう、と感じる人もいます。
真実は、そんなに恐ろしく、厳しいものだと思いますか?
そんなことは、ありません。
真実は、とてもあたたかく、優しいのです。
真実は、私たちを自由にしてくれます。
いえ、もともとは、私たちは自由だったのですが、自分の望んだ通りの宇宙が創られている、という自由な選択の中で、自分が望んでひどい現実を使ってきてしまったことに目を背けたいと思っていると、
真実から目を逸らした世界をつくり始めて、その世界の住人になってしまうと、自分で自分をその世界に縛り付けることになって、自由を失っていきます。
それほど不自由でありながらも、何百年、何千年、何万年と慣れ親しんできたその世界の外の真実に目を向けて自由になるのは、「得体が知れない怖いこと」なのです。
先の見えない自由よりも、勝手知ったる不自由の方が安心できて幸せと思ってしまうのです。
もちろん、あなたの人生は、あなたの望み通りですし、あなた自身の人生ですから、好きな道を選べば良いですし、無理に真実に向き合うことはないのですが…
真実から目を逸らすのは、自分がこの今の現実を望んで創ってきたことを受け入れたくないから。
こんなひどい体験は、あいつのせい、運命のせい、この時代のせい、と言いたいから。
自分が望んで創ってきてしまったなんて真実は、
絶対に受け入れたくないわけです。
何かを、誰かを許すくらいだったら、真実を観ないで、引き受けないで、恨んだままでいたい、
わけです。
ですが、そのままでは、自分が望んで創ったことを認めないままですから、人生を変えることができません。
このままの、今のままの被害者人生を生きたいのでしたら、無理に真実に向き合う必要はないでしょう。
ですが、自分がこの人生を望んで創ったことを引き受けて、受け入れて、
素晴らしい世界、より良い宇宙を、自由に望んで創っていきたいのであれば、
それが自分の幸せ、自分の望むことと思っているのであれば。
目を背けたい真実を、笑って受け入れて、
軽やかに引き受けて、光速で望み直して、
自分の望む宇宙を、次々と創造していきましょう!
本当に真実を受け入れて、自分が望んで創ったことを引き受けると、本当にホッと、深い心の奥から安心します。
真実は、あたたかく、優しく、あなたを自由にします。
月乃 聖五(つきの あおい)