007シリーズ 第1作目「007 ドクター・ノオ」

 

 

 

 

 

「月に帰らないかぐや姫のブログ」
においでくださり、

ありがとうございます。


 

 

 

007シリーズの一作目「007 ドクター・ノオ」

なんと58年前1962年公開の映画だ。

私がまだ、13歳の頃 (^^)

 

 

なのになぜこの映画を観る気になったかというと、

それは、「私がかぐや姫だから」

と言えば、このブログをお読みの何人かには、

ストンとご理解いただけるだろう。

 

ミコトから、これこれの映画を観て欲しいよ

と示唆されることは少なくない。

もちろん直接、映画の題名を教えてくださるのではない。

基本は常に、自己教育だから、私が気づくしかない。

私が気づかなければ、それはそれでよしと、

ミコトは次善の策を考えられるのだ。

だから、私は、いつだって、ミコトを信頼しきり、

任せ切っていればいい。

 

ならばどうやって?

例えば、誰か友達がその映画の題名を口にしたり、

FBやブログで記事としてアップしていた。

あるいは、夫がこれこれの映画、面白そうだから、

録画しておいたよ。一緒に観よう。等々。

 

なにしろ私は、この「007 ドクター・ノオ」を観た。

スパイアクション映画です。

 

かつてミコトから、何度か、

「ニキータ好きだろう?あなたかぐや姫は

あのニキータの危険のないバージョンだ」

と言われたっけ。

 

映画「ニキータ」の中で、

終身刑を言い渡された不良少女ニキータは、

ボブという政府の秘密警察官の特訓により、

秘密工作員に仕立て上げられる。

ミコトのスパルタ教育によってかぐや姫として

育成されてきた私のようだ。

もっとも、私は、ニキータのように、

ミコトから脅されたことは一切ないけれど。

違いは、そう、ニキータの場合の動機はエゴで、

ミコトの場合の動機は愛でなされたと言える。

 

実際、私は確かにある意味、

表には出ない黒子、縁の下の力持ちとして

ここまでやってきたから、

秘密工作員のような立場ではあるけれど、

危険な目にあったことはない。

 

「あなたに危険が及ぶことはない。

だから、本名、本当の誕生日を公開して

ブログを書き始めて欲しい」

そう言われて、初めて記事をアップしたのは、

2017年1月のことだった。

今となっては、懐かしい思い出だ。

 

確かに私はこれまで一度たりとも、危険な目に

合ってはいないのは、もちろん

ミコトがいるからこそなのだ。

ということは、最初はうすうす、

今ではくっきりと自覚するに至っている。

 

 

 

おっと、今日は映画「007 ドクター・ノオ」が

テーマだった。

 

さて、仕切り直して。

 

きっとミコトが観て欲しいと思ったのだ、

との気持ちで私は「007 ドクター・ノオ」を観たわけだが、

最初に驚いたのは、

駅までボンドを迎えに来た運転手が

実は刺客として差し向けられた人間であると

ジェームズ・ボンドに見破られた途端、

その場で服毒自殺をしたシーン。

映画のシナリオの内のこととはいえ、

文字通りの命がけの役割。

 

私だって、かぐや姫の任務に全身全霊で、

向かっているが、実は命はかけていない。

が、命がけの姿勢ではいる。

なぜなら、私が命をかけたら、

ミコトは、「まず自分の命を大事にしなさい。

それでこそ、すべての人々の命を大事にできるのだから」

と諭されるだろうから。

 

というわけで、この服毒自殺した登場人物は、

かぐや姫的にはっきり言ってしまえば、

幽界の存在から指示を受けている人間なのだ。

幽界の存在は、人の命は、いくらでも取り替えが

効くものと考えているから。

 

もうひとつ気になったのは、

ジェイムス・ボンドの

敵役として登場するドクター・ノオが、

イギリスにもアメリカにも加担することない、

中国人であること。

今の時代のアメリカと中国との対立、

そのままではないか。

 

そして最終結末では、

ジェームズ・ボンドとドクター・ノオが、

人が近寄れないように画策された孤島にある

原子炉の中でもみ合ううちに、

ドクター・ノオが自ら作った原子炉の中に

落ちて命を落とすのだ。

その後、原子炉は爆発し、島は木っ端微塵となる。

もちろん、ジェイムズ・ボンドは危機を免れ

その島からボンドガールと共に逃亡するのは、

007シリーズのお定まりの結末。

 

なんだか、象徴的な場面が多いな。

来たるべきアセンションと重ね合わせてしまうのは、

私がかぐや姫だからなのだろう。

かぐや姫の視点で、以上勝手に解釈してしまった。

 

ミコトは、こうしたことを私が感じて、

こうしてブログ記事としてアップすることを

見通して、この「007 ドクター・ノオ」

を観て欲しいと思ったのかも。

と、そんなことを思った私だった。

 

結局、幽界の存在は、ドクター・ノオのように、

自分で自分の首を絞めるということかな。

原発をエゴで使ったそのカルマは必ず

幽界の存在が自分で引き受けねばならない。

私たちも然りだ。

 

 

 

 

 

゜+.――゜+.――゜


 

 

 

 

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