本日、インド、インパールから元気に帰国しました。

 

インド、特にインパールでは、
ネット環境が思うに任せず、
予定していたようには、
ブログをアップできませんでした。

 

これから、ゆっくりと
記憶をたどりつつ、
随時インド、インパールで経験したことを
アップさせていただきます。

 

まずは、
すでにFBでアップした記事ではありますが、
ここで紹介させていただきたい。
私の気持ちがホットなまま
1日でも早くアップしたいとの気持ちから
数日前にFBにアップしたものです。

 

 

゜+.――゜+.――゜

 

 

【インパールに着いた日、3月30日の私の想い】

 

 

インパールに着くと、まさかの雨。

それも、どしゃ降り。

 

ガイドさんは、

「この時期の雨はとても珍しいのですよ。

雨季は6月からですから。

昨日の夕方から降り始めて、 このありさまです。」

と、びっくりした様子。

 

私たちを乗せた車は、

路上に溢れ流れる雨水の中を、 泳ぐように走る。

窓ガラスを叩く大粒の雨で、 外は見えない。
第二次世界大戦終盤、 インパール作戦で失われた 多くの命に想いが向く。

こうした大雨、 それも何日も続く真夏の暑さ。

食料も弾薬も尽きた中で 敵味方と呼ばれる

命同士の対立がここインパールであったのだ。
兵士の数だけある、 一人一人の胸の痛み。

地上という舞台での重い経験。

 

人という存在は神だ。

魂の深い深いところに、 その一雫を担っている。

そうであるからこその舞台が、

ここ地球。

 

この胸が痛くなる程の現実。

 

それが、 真実であるとの証明はできないが、

私はミコトから インパール行きの任務を 打診されたのを受けて、

ネットでインパール作戦について、 あれこれ知ろうとした。

 

行きたい、行こうと気持を決めるのに、

時間はかからなかった。

その想いは、紛れもなく

私の、実に私の、真実の想いだ。

 

その私の真実の想いのために、 私は私の命を使いたい。

そのことが、

「部分は全体のために、 全体は部分のために。」

に繋がる。
命の尊さのために、 私の命を使うことができるのなら、

これを本望と呼ばず、 なんと呼ぼうか。

 

私は、 どうしても、 すべての命に敬意を表したい。

それが私だ。

これが私だ。

ただただ、そう想う。

 

インパールでの大雨を目にして、

私は私を彫り出した。

私は私なのだ。

くっきりと私なのだ。

 

世界中から石を投げられても、

私は、 「これが私だ!」と叫ぶだろう。

なぜなら、これが、私だから。

それ以外の理由はない。

 

いつもの私なら、 この記事の内容からして、

「月に帰らないかぐや姫のブログ」に アップするところなのだが、

私は帰国するまで、 待ちきれない。

インパールに降り立つが早いか、

エーテル浄化は始まっている。

私の真剣な想いの、

私自身の確認のためにも、

今ここFBでのアップ。
今日の予想していなかった大雨は、

私にこの大きな節目を前にしての

決意表明の勇気を 与えてくれたと言えるだろう。

 

 

゜+.――゜+.――゜

   

 

 


写真は、 白亜のシュリ ゴービンドジー寺院。

大雨のため、神殿の前には、

膝近くまでの雨水が押し寄せていた。

プージャを行なう僧侶たちは、

この雨水を渡って祭壇に進む。

 

 

 

゜+.――゜+.――゜

 

 

 

 応援のクリックをお願いします。 

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村

 

 

 

  ∴..∴..∴..∴..∴

  スピリチュアル・カウンセリングルーム
「天空の扉」