映画館を出て、友達の第一声は「最初の方、もう本当に気持ち悪くて途中で部屋を出たくなった」であった。
瑛太の演技がとても気持ち悪くて、怪演だったのだ。
こんな先生あり得ない、それを知らんふりしてのらりくらりしている学校も学校だ、とマジで腹が立ったらしい。
私も同意である。
校長(田中裕子)がボソボソ話す様子がまた気持ち悪い。
あれ?いい先生っぽい、との一瞬の第一印象をひっくり返す中盤。
しかし、最後は第一印象が当たっていた、という二度の裏切り。
校長も心に秘密を持っていて、罪の意識とともに生きている人だった。
孫をあやまって車でひき殺し、夫がその罪をかぶって牢屋に入っていた。
夫は妻の教育者というすばらしい仕事を、身を挺して守ったのだった。

「豚の脳を移植してもそれは人間なの?」という問いから始まったストーリー。
最初は、この言葉を言ったと嘘をつかれた保利先生が怪物扱いだった。
でも実際にこの言葉を使っていたのは依里の父親で、トランスジェンダーを受け入れられず息子を虐待していた。
性別違和の感覚を持っていた依里。
その依里を好きになってしまった湊。
自分の罪を夫に負わせてしまった校長。
さらには、学校の問題を一人の人間に押し付け、事を荒立てないようにした職員。
湊の母である早織の夫は亡くなっていたが、亡くなった理由は浮気旅行の途中での車の事故ということだった。
怪物とはどういう人のことをいうのか…
いったい誰が怪物なのか…
正義とはなんなのか、ということを考えさせる映画なのだと思った。

友達は「最初、保利先生があんなに気持ち悪かったのに、事情がわかったら、すごくいい先生に見えた。一つの情報だけで判断すると、人を見る目も狂うよね。いろんな方面から見ないといけないってことだ」と感想をしめくくった。
たしかにそういう暗示もあったかもしれない。

校長が湊にトロンボーンを教えるシーンで

「誰かしか手に入れられないものは幸せではないの。みんなが手に入れられるものが幸せなの」
と言っていたが、幸せなんてそんなに特別なものではない。穏やかで優しい気持ちがあれば、誰でも幸せになれるよ、と言いたかったのかもしれない…

                      おわり