「もし俺がマラソン辞退するって言ったら、一緒に横浜行く?」 先週夫が聞いてきた。 彼は減量に失敗して、練習で走っているときに足を痛めてしまったのであった。 針やらマッサージやらに通って、なんとか普段の生活には支障は出ていなかったが、42.195キロを走るのは無理と判断したようである。 これまで何回か夫のマラソンに自宅からの運転手として付き添ったことがあったが、あれは暇で仕方がない。 何か所にも先回りして、応援するような気力と体力もない。 夫はそのことがわかっているので、あえてマラソンに付き合ってくれとは言えなくなっていた。 だから横浜マラソンも一人で行くつもりだったのだが、やめるとしたら私が一緒に行くかもしれない、と思ってくれたようである。 彼はマラソンの前日には知り合いのお芝居を観る予定も入れていたので、横浜には行きたいようであった。 私も久しぶりに友達にも会いたいし、孫にも会いたいので、「じゃあ、行こうかな」と返事をした。 早速友達に連絡をとり、ランチの約束をして、夜には長女の家で夫と落ち合うことにした。 朝、出発するときに「上着どうしようかな?」というので、「夜にけっこう動くから暖かい方(ボアのジャンバー)がいいよ。」と勧めたが、私は東京の暖かさをなめていた。 なんだ、この暑さは?半袖でもいけるじゃないか、と東京に着くなりそう思った。 しかし私の選択が誤っていなかったことが、翌日判明する…。 二人の行動がバラバラすぎて、車をどうするか、が問題になった。 結局夫がアプリで見つけた個人宅の駐車場に2日間安く停めることになった。 私は夫に天王洲アイルで降ろしてもらい、友達とお洒落なレストランでランチをした。 夫はそのまま逗子まで車を走らせ、お芝居をみたようである。 その後孫たちと夕飯を食べ、翌日、彼は横浜マラソンに出発した。 そう結局彼は出場を決めたのである。 私はきっとそうなるとは思っていた。 なぜなら彼はフェイスブックネタが欲しい人だから… 行ってきました~とニッコリ写真を載せたいのである。 そして走り出したら、そんなに簡単にはやめないことも私は分かっていた。 でもそうはいっても足を痛めているのだから、せいぜいハーフくらいでリタイヤするだろうと思っていた。

私はホテルを10時ギリギリの時間にチェックアウトし、中間地点付近の新杉田駅に向かうことにした。 そこは18キロ地点と折り返した後の25キロ地点になっていて、大勢の人が声援を飛ばしていた。 私の読み通り、少ししたら夫が現れた。 「足、まだ行けそうだから折り返したら(待機しているであろう)バスに乗るわ」 と言い残し彼は走り去っていった。 ここでリタイヤしてくれれば、ちょうど昼くらいだし、中華街でご飯食べて帰ればいいな、と思っていた。 25キロ地点に移動すると、子供を連れたお母さんがお父さんの応援に来ている光景をたくさん見た。 「あぁ、きたきた。おとーーーさーーん。」と声を上げる子供たち。 「おおー、ありがとうね。みんなの応援でおとーさん、また元気出てきた。」と立ち止まって妻の差し出すスポーツパウチドリンクを飲むおとーさん。 ジーンと胸が熱くなる。 他にもおとーさんに声援を送ってから、次の応援地点へと急ぐおかーさんと子供たちもけっこう見かけた。 (いい家族だなぁ) と感動しながら、リタイヤするであろう夫を待っていた。 この地点の先からは、高速道路上を走るので、沿道での応援は不可能になる。 やっと夫が来たけれど、リタイヤの仕方がわからない、という。 そんなこと言われても私もわからない。 バスはあったのだが、乗っている人が誰もいない。 そのまま夫は行ってしまった。 どうも高速道路を上って行ったようである。 (リタイヤしないんかーーい)私はいったいいつまで待てばいいのだろう… 私は仕方なくゴール地点に向かった。 パシフィコ横浜(ゴール地点)に着いて、座れる場所を探す。 会議センターの前に石のベンチがあった。 陽気は良かったのだが、ベンチがとにかく冷たい。 こりゃ冷えるなぁ…と思った所に、持ち歩いていたボアのジャンバーが役に立った。 それを敷いたら、あら快適。 いつ帰ってくるかわからない夫を、そこで私は3時間座って待ち続けた。 本を持っていたので、まぁなんとかなったのだが、3時間も座っていると、隣に座る人も入れ替わり立ち代わりになる。 「なんかさぁ、20代30代の孤独死が増えているらしいね。」 隣に来た二人組の会話である。 「あぁ、そうなの?」と返事をしている人はどうもお母さんらしき年頃の女性であった。 「そう、ネットのニュースで見たけど、なんか他人事じゃないよね。」と20代と思しき女性。 ボソボソとそんな会話をしている途中、母親らしき人がスマホのやり方がわからなくなったらしい。 「ほら、こうやるって前に言ったじゃん。分かる人がいてよかったね。ラッキーだと思った方がいいよ。」 「ほんとう、助かったよ。」 なんだ?この会話は…?かなり威圧的な娘に翻弄されているお母さん。 私は読んでいる本の内容がわからなくなって、途中で閉じてしまった。 いろいろな親子がいるものである。

結局夫は完走のタイムリミット3分前にゴールした。3時になっていた。 半分私は腹が立っていたので、ゴール地点には行かず、着替えを終えた夫とずっと座り続けた会議センター前で合流。 一歩たりとも動かなかった私であった。 「コムレケア(足がつらなくなる薬)が効いたな。一日で3回しか飲んじゃいけないけど、4回飲んだ」 と完走を喜ぶ夫に「へぇ、そうなんだ。」とつれない返事をする私。 足を引きずっている夫であったが、なんとか中華街までたどり着く。中華街に行くことは必須だった。 以前NOBUKOさんが紹介していた、フクロウのフクちゃんがいる店に入ると、横浜マラソンの打ち上げをしていた人たちが、 「おー、完走されましたか?」と声をかけてくる。 配られた手提げが仲間の目印。彼らは打ち上げを終えて帰るところであった。 「はい、なんとか。」 「後半の高速道路の上は辛いっすよね。じゃ、おさきー。」という感じで別れを告げる。 食事を終えて、そこからさらに駐車場へと歩いた。 なんでそんなところを取ったのか、駐車場はひと山超えたところにあった。 横浜には小高い丘があるのだ。 私でさえゼーゼーハーハー言いながら歩いた。徒歩20分だった。 帰りの車で「全くリタイヤの仕方がわからないなんて、詐欺だよなぁ。」と夫が言うので、 「いや、マラソンに出ないと言っていたあなたの方が詐欺です。しかもさっさと帰ってくるならまだしも、こんな時間まで待たせるなんて…。」と言ってやった。 「たしかに、そりゃそうだ。はっはっは。」と笑い飛ばす夫。 聞けば、高速道路上ではなんの景色も見えず、ただひたすら関門の時間との戦いで、まるで亡者の行進のように足を引きずり走ったようである。 それを聞けば、あまり責めるわけにもいかない。 が、やはりマラソンの付き添いはもうこりごり、と思った私であった。