昨日は映画のレディスデー。友達が映画に誘ってくれた。 介護に苦しむグループは4人の友達で構成されているが、そのうち2人は体調や家の事情でキャンセル。 2人で出かけた。今回は友達が車を出してくれる。 なにしろ車で1時間以上走らないと、まともな映画館にたどりつけない。 ちょっと気軽に行くには遠い。 それゆえ、せっかく行くのだからと映画を2本観ることになった。 1本目は“プラン75”。 余裕をもって家を出たが、平日の昼間なのに道が混んでいて、始まりに2.3分間に合わなかった。 大急ぎで1150円を支払い館内に入る。 とても暗いシーンで、自分たちの席がわからない… 友達が携帯で椅子の番号を照らしながら私を導いてくれる。 そこで、「バーーーン」という銃声が鳴る。 何かが起こったらしい。 実は最後まで何が起こったのか理解しないまま、映画は終わってしまったのだった。 だいたいのあらすじはこうである。 日本では高齢者が増え、負担に感じている若者による施設襲撃や高齢者襲撃事件が多数起きるようになっていた。 そこで政府は“プラン75”という制度を作る。 75才以上になった人は、安楽死を選ぶ権利を与えられるのであった。 いつでも自由に応募できる。 応募して怖くなったら、いつでも撤回できる。 応募した人には支度金として10万円が給付され、最後に贅沢をしたり、葬儀のお金にあてたり、使い方は自由ということである。 そして決行される日まで、毎晩担当のスタッフが体調や様子をうかがう電話を入れてくれる。時間は15分間きっかり。 安楽死を選ぶ人は孤独な人が多いので、この電話でつい話し込んでしまうのであった。 主人公のミチ(倍賞千恵子)は1人暮らしで、ホテルの掃除婦として働いていた。 仕事仲間(みな老人)と仲良く働いていたが、ある日仲間の一人が仕事中に倒れてしまう。 それを機に、年齢を理由にミチたちは解雇されてしまった。 急に職を失ったミチ。 職を失ったことで家もおいたてられる羽目に。 だれも老人に家を貸してくれない。2年先まで家賃を払えば貸してくれると理不尽な要求を突き付けられる。 ある日、ミチは仕事仲間であった友達の家に遊びに行く。 彼女には娘がいるのだが音信不通で、孫の顔も見たことがないという。 友達は言う。「寂しいだけが人生だ」と。 ミチはその友達の手を握って夜眠るのだった。 職探しもうまくいかず、やっと交通整理の夜勤の仕事にたどり着いたミチであったが、老体にはこたえる仕事であった。 そんな中、仕事仲間の友達と連絡がつかなくなり、彼女の家を訪れると、彼女は椅子に座ったまま亡くなっていた。 ミチはプラン75に応募した。 毎日電話をくれる若い娘と仲良くなり、夫との想い出のボーリング場に一緒に行ってくれと頼むミチ。 本当は規約違反なのだが、ミチに同情していた娘は付き合ってくれる。 そこでミチは彼女に支度金の10万円を渡す。 私には使い道が無いから。付き合ってくれてありがとう。といって。

ここから先は完全に最後までネタバレになっているので、映画を観ようとしている人は気をつけてください。 この物語は伏線として、プラン75の申請窓口で働く若い男性ヒロム(磯村勇斗)視線の話も展開される。 淡々と業務をこなすヒロムであったが、時に市民から冷たい仕打ちを受けることもあった。 この政策を嫌悪する人ももちろんいたのである。 事務所で上司と話をしている時に、ヒロムはある書類に気がつき目を通した。 そこには遺体の処理工程が書かれていたが、産業廃棄物会社の名前が最後にかかれていた。 その意味を上司に尋ねると、うやむやにごまかされる。 そこでヒロムはある闇に気付いてしまったのであった。 そんなある日、20年音信不通だった叔父が、プラン75の申請にやってくる。 3親等の身内の担当は出来ないということで、担当を外れたヒロムであったが、様子を見に叔父の家を訪れた。 質素に一人で精一杯生きてきた叔父の半生を知り、父を亡くしていたヒロムは情を感じるようになる。 叔父の決行日が決まり、施設まで送ってほしいと頼まれたヒロム。 途中でご飯を食べさせ車で送るが、叔父は吐き気がとまらず車を降りることもあった。 施設ではベッドが並べられ、隣とはカーテンで仕切られていた。 静かな館内。 訪れた申請者は遺留品を渡し、ベッドに横たわる。 マスクをつけると数分で眠気がきて、その後ガスが出てくるしくみのようであった。 叔父とミチは隣同士のベッドであった。 叔父が先に息を引き取った。その様子をカーテンの隙間から見てしまったミチ。 その時若い男性が現れる。ヒロムが戻ってきたのだ。 ヒロムが叔父の遺体を運び出そうとしているのを見たフィリッピン女性マリア(彼女の5才の娘が心臓病で医療費を稼ぐために家族をフィリッピンに残し、一人で日本に出稼ぎに来ている。遺留品の片づけを担当していた。)が手伝い、ヒロムは叔父を助手席に乗せ火葬場に急ぐ。火葬場も混んでいて、たった一つのキャンセルを逃すと4日先まで火葬できないのであった。 しかし、無情にもヒロムはスピード違反で警察に捕まってしまう。 一方ミチもマスクを外し、施設を抜け出した。 生きたいと体が反応してしまったようだった。 逃げ出した先には、きれいな夕日が沈んでいく街並みが映っていた。 ここで映画は終わる。 そんなバナナ~、という結末であった。 この人たちは一体どうなってしまうの? もし実際にこのようなことが起こったら、あなたはどう感じますか?というのがテーマなので、物語の結末はあまり重要ではなかったのかもしれない。 フィリピン女性を登場させたのは、フィリピンがクリスチャンの国で家族を大事にする国民性なので、日本の人との関係の希薄さを浮き彫りにさせたい意図もあるようだった。 所々でマリアの寂しい視線が日本の現状をとらえるシーンが挟まれていた。 皆さんは“ライフ75”の法案が出たら賛同しますか?(答えにくい問題ですね。)